見出し画像

“新鮮” な人間関係

私は、決めつけて観られるのはイヤ!
と思いながら、人を決めつけて観ていました。


私の成長過程を観てほしい!
と願っていながら、人の過去のデータを元にして人を判断しているところがありました。



それは
囚われて、決めつけているということ。



過去のその人と接してきた経験をもとに、その人を判断するということは大いにありました。


この人は、苦手。
だって自分勝手だし。


この人は、好き。
だって、思いやりがあって優しいし。



でもそれは単なる過去のデータであって、
接してきたその時その時の、目の前のその人であるということ。



ただそれだけなんです。




もしかしたら
その人はこれからが、その成長過程の途中であったかもしれなくて


その人自身どうにかして、その部分を変えようとして、自分自身の理想に目指して努力している時かもしれない。

でも、もしかしてもう諦めてるかもしれない。


でも、その諦めていても、いつかなにかのきっかけで、どうにかしようと思い始めるかもしれない。




逆に、私が好きだと今思っている
思いやりがあると思っている人でも



ある時、何かのキッカケで自分勝手な人になるかもしれないし。

そして、もう人生諦めてしまうかもしれない。


けど、何かのまた何かのキッカケでまた改心して思いやりを持って生きたい。
そう思ってまた努力しようとするかもしれない。


過去のデータや接してきた経験で

『こういう人だ』


と決めつけるのは、言うなれば



その人の一部分しか観ず、そこに囚われ、クローズアップして他の部分を観ようとしないということ。


それは、今からの可能性が広がるはずのその人を
『こうあるべきだ!』
と決めつける行為。



例えば、思いやりがあると思っていたその人

少しづつそうじゃなくなっている事実がそこにあった時
『いや。この人は思いやりがあるはず。
こんな自分勝手な人なわけない』

と今を観ず過去に囚われて、何か違うと思いながら接し続けていく。


そうやって無理やり続けていく関係は、
お互いしんどいだけ。


逆に自分勝手な人だと思っていたのに
何かしら、思いやりある行動をしてたら
『そんなわけない。
あなた自分勝手な人でしょ?』


そうやって、過去に囚われたら

もしかして、新たに築けるはずの関係。
そのチャンスを逃すことになるかもしれない。




そうやって、決めつけたら




今、本当の意味で
誰とどのような関係性を築きたいか?


そんなことに気づけなくなる。



まず、決めつけないこと。

それは、
今のその人を観るということ。

そして、
その人の成長過程を観るということ。


それは、
ジャッジしないという生き方。



ありのままのその人を受け入れて接していく。

そうやって、目の前の人と接する事ができれば


移り変わる人、きちんとそこにある
“今のその人“をしっかりと、囚われることなく観れる。


そうすると自ずと
今の自分に合っている人に出逢えて、
その時のお互いベストな関係性を築いていける。



そうやって観ていけば、
目の前の人は、きっと毎日新鮮な人。



そうすると、きっと、ずっと
人間関係はもっと楽しくなるはず。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?