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【ロンドンへ向かった、バーテンダーの歩み】

お久しぶりです、安部直柔(アベ ナオナリ)です。
クリエイティブ スタジオ=株式会社andSupplyが運営する、代々木公園『nephew』のバーマネージャー兼バーテンダーを務めておりましたが、2021年12月末日で無事に任務を終え、退職いたしました。

だいぶ日数が経ってしまいましたがその後、同年3月18日にロンドンへ到着することができました。

(ロンドンで初めて見た夕陽)



約3ヶ月間、東京〜関西〜地元の福岡でのんびりと挨拶回りをしながら過ごしておりました。
この場を借りてですが皆様のご厚意が大変嬉しく、また良い思い出が増えました。
そして、ご挨拶できなかった方もいますが、また帰国した際にお会いできればと思います。

さて、話しを前回の続きに戻しましょう!

2015年12月に勤めていた新宿2丁目のお店を辞め、そこからワーキングホリデーの制限である30歳までを逆算した、バーテンダーライフを歩みました。

【バーテンダーを始めた当初】


当時、働いていた新宿2丁目のお店はバーテンダー経験者がいないバーでした。正直、正解が分からないし、作ったカクテルに自信もない。めざすべき方向性やスタイルも分からないといった状況で、このまま海外に行ったところで何もできないと強く感じました。
そこから何十軒もいろんなバーへ行き、自分の目指したいスタイルはなんなのかを、そして1番海外に近いところはどのお店なのかを見て回りました。

当時を振り返ると、色んなお店へよく行って、たくさん飲んだなと思います。仕事柄もありましたが、1年で体重が10キロ増となかなかの成長ぶりでハードだったなと思います。

そして、無事に働きたいお店に出会い。
ほぼ未経験といって良い私を採用してくれるカクテルバーがありました。
本当にありがたいことで、そこで働いてなかったら今の私はいなかったと感じてます。ご迷惑を大変おかけしたお店ではありますが、感謝しかありません。

何故そのお店を選んだか? 
理由は大きく分けて3つ

1. 海外のバースタイルを反映していた
2. カクテルのアプローチが好みだった
3. 外国人のお客様がたくさん来ていたバー


掘り下げればまだあるんですが、上記の要素が当時の私は凄く重要でした。

バーテンダーとしての基礎も知識も技術もほぼ皆無と言っていい状態ではあったのですが、海外へ行く為に日本のオーセンティックバーで何年も修行をする時間は無いし、SNSを通して見ていた海外のバーと日本のバーに大きなスタイルの違いを感じていました。
賛否あると思いますが、結果論。その選択は間違っていなかったと思っています。

実際にオペレーション面や、カクテルアプローチ、外国人の味覚嗜好、接客やロジカルシンキングなどを学ぶことができ、今の私の基礎になっています。

何気に良いことばかり言っていますが、もちろん悩んだ時もありました。そのお店で働き始めた当初は本当にやっていけるのか不安で何度も行き帰りの電車の中でいろんなことを考えながら乗っていたのを覚えています。

悩んだ時は色んな方に相談して、聞いてもらったのを覚えています。やはり、仲間や同僚、同業の先輩後輩はとても大切です。そういった人が周りにいることに感謝しないといけません。

そして、時が経ち1年3ヶ月が経った頃に退社

さらに、この時に日本でもコロナウイスルが流行し始めたのです。

次回は、『コロナ初期のバーテンダーライフ』

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