見出し画像

#子どもに教えられたこと

 今日は、日曜参観日でした。

 コロナ禍でも、工夫しながら学校行事を実施してきましたが、体育大会の代替行事「スポーツレクレーション大会」を今日行うことができました。

 自分は中3を担任しているので、今年4月のスタートから予定していた学校行事が次々と中止、延期となる現状に、憤りと焦りと悲しみでいっぱいになりました。学校が再開されても、体育大会は延期、修学旅行も延期、最後の中体連総合大会に至っては、地方大会も中止。本当に、「かわいそうな学年」になってしまうのだな。。。と諦めモードに。

 でも、いろいろな手立てや工夫のおかげで、修学旅行は訪問地を変え、日程を短縮し、実施出来ることになりました。そして、文化祭も、会場を変更し、プログラムも変更、実施時間も短くなりましたが、彼らの努力と工夫で、成功させることが出来ました。そして、今日の運動会。

 コロナによる休校で離れていた時間を、彼らは、ただだまって過ごしていたわけではありませんでした。デジタルという道具を使って、つながりを切らすこと無く、互いに助け合おうとしていたのです。 

 学校という日常に戻れたとき、子ども達は、その大切さに気づき、日々が平穏に続いていくことが奇跡だと言うことに気がつきました。「かけがえのない今」をどう生きるか。「できないことを嘆く」のではなく、「出来ることは何か」を考え、精一杯向き合う。彼らは、コロナ禍の中学校生活で、そのことに気づけたのではないかと思うのです。そして、一つ一つの行事を乗り切っていくたびに、彼らはどんどん逞しく、強くなっていきました。

 行事の集大成として、今日の運動会、私は一切口出、手出しはしませんでした。(いろいろとあったみたいですが、、、)彼らは3年生として、何が出来るかを考え、悩み、試行錯誤を繰り返しながら、長縄、玉入れの完全勝利、新記録樹立というミラクルを引き寄せたのです。

 子どもを信頼して、見守ることは、大人にとっては「歯がゆいもの」です。手を出し、口を出した方が、ずっと楽。大人はそう思ってしまうのですが、中学生にとっては、「信頼して待つこと」が、一番彼ら自身の成長を促すことが出来る妙薬なのかもしれません。

 「コロナ禍で、行事ができなかったかわいそうな学年」ではなく、「コロナ禍に立ち向かい、創意工夫をして新しいスタイルを築いた第一世代」と呼ばれる学年になろう。

 コロナ休校が明けて、最初に彼らとかわした約束です。それは、自分自身との約束でもあった訳ですが、生徒たちは自分の手でその答えを見つけつつあります。

 中学生と長く一緒に過ごして、気づいたことがあります。中1は、正面に立って、中2は斜め前に立って、中3は横に並んで走ること。中3は、そのうち追い越されてしまうので、その背中を卒業まで見失わないこと。

 自転車の練習をする子どもにも似て、1年は後ろを掴みながら自転車を押す。2年は「押さえてるよ」と言いつつ、時々手を離す。3年は「大丈夫、大丈夫」と言いながら、手を離す。そのうち、後ろに誰かがいることも忘れて、ピューっと離れていってしまいます。

今日の子どもたちを見て、私は、彼らがそろそろ担任を追い越して、ピューっと離れていく時が来たのだな、と思いました。残り5ヶ月、どこまで彼らが成長していくのか、見届けていきたいです。

 そして、来春、みんな笑顔で卒業式が迎えられますように。



この記事が参加している募集

#子どもに教えられたこと

32,890件

サポートありがとうございます。頂いたサポートは、地元の小さな本屋さんや、そこを応援する地元のお店をサポートするために、活用させていただきます!