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色んな人の「普通」に触れる


いつも疑問に思ってることがあった。
「普通はこうする」「普通さ〜」
そんな誰が定めたか分からない基準で、自分の行動が判断されていく。
理由を聞いてもみんながやっているとかばかりで、しっかりと答えてもらえたことがない。

私は、物心つく前から変わっている子だったらしい。

親戚の家に泊まりに行った時の早朝。
母親が目を覚ますと、私は既に起きていて、あたりを見回したところ、皆んなの掌に一つずつ飴玉が乗せてあったという。
家で遊ぶ時も、タンスに布団をくくりつけて本を読んで過ごしていたり、押し入れにぬいぐるみを大量に押し込んで昼寝を楽しんだり、カマキリが襲ってくる想像をしてわーきゃー言っていたり。

姉は外向的で一人遊びなどしなかったからか、
そんな私を母は面白いと褒めてくれた。

そんな環境で育ったので友達に変わってると言われる事が嬉しかったし、自分は特別なんだろうなと勝手にポジティブに捉えて私は過ごしていた。(AB型だし)


インターネットを始めてから、私は様々な年齢の人と交流する様になった。
色んな人と話し、色んな人の呟きを見て、色んな人の裏の顔を知り、色んな人と付き合い、色んなルールを知った。

音楽が好きな人、ゲームが好きな人、コスプレをする人、写真を撮る人
それぞれにその人なりの「普通」があって、その界隈ごとにルールやマナーも違う。

人は皆んな、見えてる景色が違うことを知った。

歩いてる時、周りの景色を見る時、「あ、ここに新しい店できたんだ」とか思う時、何を思うか何に反応するのかみんな違う。雨と聞くと、癖っ毛の人はめんどうくさいと思うかも知れない、私は雨の音が好きだから心地よい。

そんなわたしの普通と、人の普通
そして多くの人が積み上げてきた普通の中で暮らしているのだと思った。

そう思ってから、知らない人と話すとわたしはワクワクして、自分が見ることの出来ない普通を体験してる人たちを何だか羨ましく思う。


#ゆたかさって何だろう

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