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day60 僕の我慢がいつか実を結ぶことは恐らくないだろう。

昨日、我慢についての話を書いたためか、昨晩の夢はちょっとだけ面白かった。

たまたま座った席の隣が友人ご夫婦で、ふたりが話をしている横で音楽をかけたら「うるさいから違うとこ行ってくれる?」と言われる夢だった。

この夢の、なにが面白いのか分からないかもしれない。

わたしは普段、この夢において逆の立場だとしたら、自分が違う場所へ移動することが多い。またはうるさいなぁと思いながら不機嫌そうなオーラを放ってやり過ごす。
この友人のように、うるさいから違うとこ行け、なんて言えないのだ。

そして夢の中で、わたしが思っていたことが面白いのだ。

わたしなら、言わずに我慢するのに。

目が覚めて夢を振り返りながら、我慢するんかい!と笑いながらツッコんだ。

しかしながら、この夢のおかげでわたしの我慢ポイントが明確になった気がする。


人が嫌がることはしない。
他人に迷惑をかけてはならない。

よく言われることだが、わたしの場合これについていまだに判断を迷うところがある。

先程の夢のように「人に注意すること」は、人が嫌がることに入るのか否か。
自分の不快感を呑み込むことで、その人が嫌がらずに済むのであれば、この我慢はいつか実を結ぶのかもしれない。

でもきっと、そんな小さな我慢がポイントカードのように貯まりに貯まってボーナスポイント的に病んでしまうのだろうとも思う。
我慢の末の、実の結びかたとして、これは如何なものか。


他人に迷惑をかけてはならない。これについては心配と迷惑を混同している節がある。

中学時代にインフルエンザに罹り、家で寝込んでいたとき、母は仕事に行けずにとても迷惑そうな言動だった。

わたしには『自分が困っているときは、人に迷惑をかけてしまう』という刷り込みがあるのだ。

そのためか、助けを求めるときほど救いの手が差し伸べられにくいという(思い込みと)現実があるようだ。

そうして、ひとりで抱え込んで何でも自分でやるようになって、無駄に忙しいという展開からの、病院送りで強制終了というパターンだ。


これが他人のことならば、笑いながら『いや頼れよ、周りは頼られたがってるんだから』とか『自分の不快感を呑み込むな、言いたいことは平和的に伝えろ』と言うだろう。

分かっている。分かっているけれど、できなくて、結局我慢してしまうのだ。


この傾向は恐らくHSPの人に多いのではないかと思う。自己肯定感が極度に低くて、他人の気持ちに極度に敏感だと、わたしがちょっと我慢しさえすれば事なきを得る、と思いがちだ。


解決策は多分、たったひとつ。
嫌われる勇気を持つことだけだろう。

敢えて空気を読めない人になってみる。誰に嫌われても、自分が自分を好きでいることさえ忘れなければ大丈夫、な、はずだ。

言い切れないのは、まだそれをやり切っていないから。
わたしだって嫌われたくない。人間誰しも、愛されたいと願うのが普通だろう。

そこを超えていく必要があるのだと、今日の夢は教えてくれたようだ。


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