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day296 ブルーになってみただけ。

昨日、相方さんと一緒にいる意味を、さんざん考えた。

その結果、今日は[相方さん]という関係性を解消する、という決断をして、その旨をお伝えしたのだった。

毎度、少しぼかしながら書いてきたものの、ハッキリと書いてしまえば、わたしにとって旦那さんと同じくらいに最愛のパートナーだった。およそ7年もの間、時々離れながらも気づいたら一緒にいたのだ。

恐らく、これはわたしの執着でしかなかったのだろうと思う。あの人を理解し支えられるのは、わたししかいないだろうという驕りが何処かにあった。
でも冷静に振り返ってみれば、それは逆で、わたしを受け入れてくれる唯一の存在が相方さんだったのだ。

しかも、唯一の、と書いた割には全然違っていた。旦那さんのほうが、遥かにそのまんまのわたしを受け入れてくれているのだから、相当凄いと思う。
いろいろなことが、盲目的なまま過ぎていたようだ。

謎の責任感や使命感を振りかざしていた。あーそういえば、先日わたしと同じような人を何処かで見た気がする。あれは、わたしにとっての鏡だったのかもしれない。
人の振り見て我が振り直せ、だ。

傷ついたココロに意識を向けてあげたら、嗚咽が出るほど泣けた。哀しみに寄り添って泣いてみたら、驚くほどにスッキリとした。
立ち直りの早さに自分でもビックリしている。

昔から、宇多田ヒカルの『ULTRA BLUE』を聴くと、謎に闇堕ちするという現象があった。彼女のブルーなエネルギーが強すぎて、それにアッサリと呑まれてしまうのだろう。

買い物に出た帰り、不意に聴きたくなってLINE MUSICでアルバムを探し、聴きながら帰宅した。

全然涙こぼれない
ブルーになってみただけ
宇多田ヒカル『BLUE』より

いやマジでそれな。と思うくらいに、哀しみすら通り越して涙も終了して、ただひたすらにブルーな気持ちを味わい尽くした。

ただ、これまでと違うのは、ブルーになっている自分を何処か俯瞰しているということ。
潔さや、少し寂しくも心地よい感じ、これから襲ってくるであろう虚無感の予感などを感じつつ、魂は喜んでいるようにも思えた。

そういや、先日ククリヒメさまにお参りさせていただいたのだった。ほんとうに必要なご縁は強く結ばれ、不要なご縁は綺麗サッパリ気持ちよく卒業できるように、と。
どうやら、今のわたしには不要なご縁だったようだ。それでも必要なご縁ならば、いつかまた結ばれるときもくるかもしれない。

とはいえ、一応[知人レベル]での繋がりは保つことにした。会うことがあっても、心が揺らがないことを信じたい。

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