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1000万円の借金・未払いを背負った僕のジェットコースターのような2年間。【#3】

↓これまでのお話し↓

奇跡の大逆転か...最終局面へ

2018年12月。ここから最後の戦いが始まります。

後は、税務署を差し押さえて終わりか。。。と思いきや、、、

まだ差し押さえができない状況であると弁護士から連絡が入りました。
(そう簡単にはいかないか。。。)

還付金の支払いをするために必要な書類をクライアントの代表が税務署に提出をしていなかったため、還付金の支払いができない状況とのことでした。

そのため、クライアントの代表に状況を説明して書類を提出するように伝えました。
これが完了するまではまだ油断できない状況。

次の週までに提出するとのことだったので、ひとまず待つことに、、、

しかし、、、

次の週になると連絡が付かなくなりました。

そこで税務署に連絡を入れるとまだ書類は届いていないとのこと。

もう、ふざけるな!

と思い、再度連絡を入れましたが応答せず、、、

弁護士にお願いをして連絡をしてもらうと、やっと連絡が来て、手が回らず書類の提出ができていないとのこと。

弁護士は、「還付金から請求する分が500万円弱であるため、残りの300万円ほどはあなたに入るんですよ」と伝えると、クライアントの代表は急にやる気を出し、必ず提出するのでもう少し待って欲しいと言ってきたとのことでした。

返す気があるのかないのか、、、

本当に謎でした。

が、数週間後の12月末。ついに税務署から連絡が来ました。

書類が揃ったので、請求額分の振り込みを翌年の1月中にします。

と。

なんと、、、

ついに、、、

勝ちました。。。

約半年間にわたる戦い。。。

長かった。。。

やっと先輩に未払い分を支払える。

そしてキャッシングの返済ができる。

それまでの間、クライアントワークをしながら地道に返済も行っていたため、還付金が入ればお釣りが来るぐらいの状況でした。

1年越しの借入挑戦!政策金融公庫へ

2020年1月中旬。口座確認。
本当に着金していた。

奇跡だ、、、。
いや、本来は半年前にもらえるだったはずだった報酬か、、、

とにかく、これでやっとスタート地点に立てる。

クライアントワークでたまった資金と今回着金した資金を元手に、1年前に申請する予定だった政策金融公庫に融資の申請を出すことに決めました。

返済に必死だったため、実績としてはそこそこの売上が上がっていました。

融資は初めての体験だったので、結構苦戦するかと思いきや、意外と簡単に通りました。

さらに、申請から審査完了まで、1ヶ月もかからず。
そこから着金までも1ヶ月もかからないくらいでした。

受託が軌道に乗り、キャッシュ安定。借金完全返済!

さらにこの頃、受託案件の収益も安定し始めて、毎月一定の売上が上がるようになっていました。

そしてこのタイミングで2社ほど、同時に案件の依頼をいただいていました。

そのうちの1社は、東証一部上場企業の新規事業の立ち上げを行っており、ホームセンターのDX化を進める上で、新しいメディアとECの立ち上げをするので、先方の役員に提出する用の資料に使うデザインモックのサンプルを作ってくれないかという依頼でした。

これは面白そうだったし、emoleのビジョン実現をする上でも役立ちそうなサービスだったし、金額もかなりよかったので、その案件を受けることに。

詳細はお話しできませんが、今でもそのプロジェクトは続いています。

こうして、ようやく会社は安定しました。

ここで、最後のキャッシングを返済。

親への借金は残っていて、今でも毎月一定額払い続けていますが、それ以外は支払いが完了しました。

両親にはそのうち、別荘でもプレゼントしてあげなければいけません。笑

ビジョンの再構築と新たな一歩

そんなゴタゴタがあった中、2020年の年明けから密かに新しい挑戦をしていました。

それは、えんため共創部で仲良くなった起業家が誘ってくれた飲み会で知り合った女優(藍美帆)のSNSをプロデュースをするというもの。

彼女は、幼い頃から芸能界に対する憧れを抱きながらも様々な葛藤を抱えてその道に踏み出すことができずにいました。しかし、就職活動のタイミングで、一度切りの人生に悔いは残したくないと芸能の世界に飛び込み、フリーで活動を始め、その後事務所に所属して新たなスタートを切った直後でした。そんな中で、事務所に頼りっきりにならずに自分で発信をして自らいろんなチャンスを掴みにいきたいということで、SNS全般のプロデュースをすることになりました。

また、同時期に、えんため共創部の代表(ギダゴウ)から突然連絡がありました。昨年えんため共創部で知り合ったギダゴウがマネージメントをしているアーティスト(伊倉愛美)のyoutubeプロデュースをしないかという連絡でした。

彼女は、幼い頃からアイドルなどの芸能活動を行っていましたが、自分の夢であった歌の世界に進むために、大手事務所から独立をしフリーで活動していました。音楽を通して、様々な人の人生を彩り、何かに踏み出すきっかけを作っていきたいということで、昔からemoleのビジョンとも重なる部分が多く、よく盛り上がっていました。

ちょうど、その頃、emoleの再スタートに向けてどう進めていくかを考えている頃でした。

結果的には資金の問題で、emoleフェーズ1は大失敗したわけですが、今考えると、そうでなくても上手くいっていなかったなと思っています

emoleは、0→1のプロジェクトマッチングサービスでしたが、分野もフェーズも全領域を対象としていました。
しかもマネタイズのプランが全くない状況でした。

再スタートするには、この状況を打開しなければいけない。

そこでまず考えたのが領域を絞ることでした。

いつかはいろんな領域でビジョンを実現していきたいですが、まずはエンタメ領域で挑戦をしたいと思ったのです。

自分が苦しい状況にいた時に、自分を救ってくれたのはエンタメコミュニティでした。そして、サービスを使ってくれる人やビジョンに共感してくれる人の中にはエンタメ領域で活動されている方が多かった

何より、自分自身エンタメ領域に対して強い興味関心を持っていました。

『好きなことで生きる』上で、特にエンタメ領域で活動されいる方は、生活をしていくことに苦しむことが多いと思います。
でも、やっぱり、純粋な気持ちで子供のころからやりたかったことであることも多い。

時代も変わり、マスメディアで名をあげるという、ものすごく狭い間口での一点突破のみではなく、誰もがメディアを持って発信できる時代。

昔よりは、努力次第で夢を叶えやすい環境にもなってきている。

そんな中で、どのように自分をブランディングし、発信すれば良いかわからないという人が多いのではないでしょうか。

僕自身、全くノウハウがあるわけではなかったのですが、とにかくその道に踏み出してみたいという想いが強くありました。

そんな中で、自分が進みたい方面の方々との繋がりがどんどん増えていく。

これは、決断の時なのだろうと思い、ぎだごうに、emoleの事業をエンタメ領域に絞ってやっていくと伝えました。

そしてYotubeのプロデュースもやらせていただくことに。

初めて借りる会社のオフィス

この時、まだ仲間はいるわけではなかったのですが、とにかく生活するために住んでいた家が都心部から遠くて、移動が大変だったため引越しを考えていました。

それと同時に、SNS関連の撮影をしたり、ミーティングをする拠点が必要だなと考えていました。

どうせ引っ越すならオフィス兼自宅にしてしまえ、と思い新たにオフィスを借りることにしました。

当時SNSのプロデュースを一緒にやっていた友達と一緒にオフィスの内見へ

実は1年前にもオフィスを探していたのですが、お金が吹っ飛んだため、申し込みをしていた物件を諦めることになっていました。

その際にお世話になった、クリアビジョンという会社の大蔵さんに1年越しに連絡をすると、快く会ってくださりました。
*クリアビジョンは、『ベンチャー企業に寄り添う』をコンセプトにオフィス紹介をしてくれる会社です。いろんな会社に紹介を依頼しましたが、大蔵さんが1番、コンセプトを踏まえた提案と、親切、かつスピーディな契約回りのサポートをしてくださりました。

これまでの経緯を話し、再度オフィスを探しているという話をすると、emoleに合いそうな変わったオフィスをいくつか探してくれて、そのうちの1つに決めました。

今こうして見ると何もなくて、めちゃめちゃ広い、、、笑

再開

この頃、そろそろ発信を再開しなければという思いを持ちつつも、今後のemoleをどうしていくのか、なかなかまとめることができずに悩んでいました。

クラウドファンディングについても、お返しできていない人たちがいる。

ちゃんとケジメを付けないといけない。

そう思いながらも、今後の方向性を明確化するために、まずは目の前にある課題に挑戦してようと思い、受託案件を回しながらもyoutubeのプロデュースを週2-3日くらいでやっていくことになりました。

この状況は、発信できていなかったので誰も知るはずがないのですが、なぜかこの辺りで、昔からの友達から連絡をもらうことが多くありました。

そのうちの1人に、大学1年生の入学当初から友達だった男(ふかやん)がいます。


彼は、ちょうど僕がemoleを立ち上げた頃、昔から夢だったスペインに行くと言い出しました。

彼も僕と同じようにクラウドファンディングで資金を集めスペインへと旅立ちました。


このプロジェクトを僕も応援していたし、同時に彼もemole初期の映像制作をしてくれていました。

そんな彼から、スペインから帰ってきて、しばらく会社で働いたが今後のキャリアについて考え中だから一度話したいと言われ会うことに。

僕は新しいオフィスに彼を招待し、当時の取り組みついて話しました。

すると、今すぐ会社を止めることはできないが、土日でその活動をやりたいと言ってくれました。

少しずつ、youtubeのプロデュースが盛り上がっていきました。

伊倉愛美のYoutubeプロジェクトに現役の立教生がジョイン

伊倉愛美プロジェクトは、エンタメ共創部の代表と一緒にプロデュースをしていたのですが、ある日突然、その代表から新しい運営メンバーが加わると言われて、オンラインmtgで話すと自分と同じ立教大学の後輩の現役学生でした。

今2年生とのこと。この時はただの学生としか思っていませんでしたが、実はこの後、彼女(TinTon)がemoleのキーパーソンになるとは全く想像していませんでした。

mv制作

最初は、Youtubeらしいコンテンツづくりをしていたのですが、やはりプロデュースをしていた2人とも、音楽や演技に関するコンテンツを出してみたいということで、mvを制作するようになりました。

初めて作った伊倉愛美のmvはこちら。

こちらはコロナ禍でリモート撮影したmv。

この時初めて、TinTonが映像制作をできるということを知りました。笑
しかも、昔からmvをつくるのが夢だったらしい。

そこで、藍美帆のmv制作も一緒にやらないかと誘って見ると一緒にやりたいと。

こうして、ふかやんとTinTonと藍美帆の4人でカバーmvを制作することに。

本格的な機材を全く触ったことがない中、新しい機材を購入して、しかも行ったことのないロケ地で撮影するという計画を立てました。

さらに、構成や絵コンテは、2日前から制作開始。

今考えると相当アホ、かつ無謀な挑戦でした。

ロケ前日はほとんど寝ずに、当日を迎えロケ地である愛知の常滑へ。

最初の撮影スポットに到着するも、新しく届いた機材のセッティングに1時間以上かかり、スタートからタイスケが狂います。笑

そこからなんとか撮影を進め、夜になり、豪雨の中海辺で撮影。
防水のことなど一切考えずに向かったため、とりあえずその場にあったビニール袋で機材を守る、、、

女優を豪雨の夜の海辺に放ち、撮影、、、
めちゃめちゃ寒そうでした、、、

そして、もちろんスタッフ全員ビッショビショ。

なのに、なぜかみんな大興奮で、小学生のようにわきゃわきゃしながら撮影を続けました。

その後、撮影スポット兼宿泊地に向かい、それまでご飯を食べることを忘れていた僕らは、あり得ないほどの量のご飯をあり得ないスピードで平らげると、そこから明け方まで撮影を続けました。

早朝5時ごろ、流石にみんな目蓋が開かない状態で、何を撮っているのかもわからない状態だったので、とりあえず寝ることに。

そして、9時ごろ目を覚ますと、、、

もう撮影始まってる!!笑

バカなのかなと思ったけど、すぐに参加。
なんて楽しいんだと思う時間はあっという間にすぎていき、気付くと帰らないといけない時間でした。

しかし、、、

撮りこぼしが結構ある。。。
1泊2日の撮影を予定して、迎えた日曜の夜。

撮らなきゃ完成しないけど、帰らないとふかやんは明日出社できない、、、

どうしようと思い、みんなの顔を見てるとふかやんは

「明日休みにした」と。笑

え...?笑 TinTonは?と聞くと

「明日特に何もない」と。笑

んじゃ、延泊して明日撮影しようと、結局初めてのロケ遠征は二泊三日となり、次の日、求めていた大雨が降り、またもや女優を豪雨の中に解き放って、残りのシーンを撮り終えました。

その際に、躓いて剥がれた僕の足の爪は、半年経た今、ようやく再生をしました笑

*撮影中感じなかった痛みは、帰宅してから激痛へと変わりました。笑

そんな、過程を通して生まれた作品がこちら。

僕らの原点となる作品です。

遂にemoleにも仲間が!

それから1ヶ月ほど経ち、クライアントの企業で作業をしていると突然ふかやんから電話がかかってきました。

何かと思うと「emoleに行くって伝えたよ」と。

え、はや!確かにそういう話はしてたけど、え、早くない?と笑ってしまった。
あー、再始動して初のフルコミメンバーだ。

同時期に、TinTonにもemoleのビジョンを語りながらうちでインターンしない?と聞くと、週5日で行きますと。

え、いきなり週5?笑と思いましたが喜ばしいことです。

こうして、2人の仲間がemoleに加わりました。

ジョイン前夜にふかやんとシーシャでビジョンについて語り合う。

復活後、初のemoleメンバーということで近場に遊びに

さらにその数ヶ月後、藍美帆の紹介でデザイナーが仲間に加わりました。
UIデザインはやったことないが勉強したいとのことで、一緒にやろうと。

しかしこの時は、受託案件をお願いするだけになるだろうとしか思っていませんでした。

2020年最後の挑戦:短編映画制作

1000万円の借金・未払いを背負った僕のジェットコースターのような2年間。【#4】へ続く

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