学校に行っても行かなくてもどちらでもOKと思うようになった理由①

私は、我が家の3人の娘たち(小2、小4、中1)が
学校に行っても行かなくても、
学校の勉強をしてもしなくても
どちらでもいい
と考えています。

その話をすると、驚かれたり、「すごいねぇ。だけど、私はそんな風には思えないわぁ。」と言ってくれる人や、「自由だね〜!」と笑ってもらったりします。

しかし、そんな私も、少し前までは

「不登校になっている子はかわいそうな子」
「将来のためにもできるだけ学校に行った方がいい」

そんな風に考えていました。
だから長女の登校しぶりが始まった小学2年生から小学5年生の9月までの4年半の間は、力づくで登校させるようなことはしなかったものの、
精神的な圧力は感じさせてしまっていただろうと思います。
長女にかわいそうなことをしてしまったなぁ・・・、
無理させちゃったなぁ・・・と
思い出すと少し涙が出ます。

「どちらでもOK♪」
そう思えるようになったおかげで、今は安心して毎日楽しく暮らしています^^

ここからは、どのようにして私がそう思うように変化していったのかをお話していきます。

きっかけは私から

きっかけは、長女と何か出来事があったのかな?と思うかもしれませんが、
実はそうではありませんでした。

育休期間を経て、4月に小学校の教員として復帰した年の12月から、
新型コロナウイルスが流行しだしました。

その後、北海道では一斉に長期の臨時休校となり、
先生方は休校中でも家で学習を進められるようにと、
課題の準備を夜遅くまで行ったりしていました。
また、感染予防の環境を整えたり、予定を変更したりとバタバタ。

幼稚園も臨時休校でしたので、幼稚園に通っていた我が子の預け先が無くなり、
夫と私で、午前・午後で交代してお休みをとって出勤・・・という感じでした。
その頃は、仕事に行きたいのに行けない、私が休んだ分の仕事は他の職員にやってもらうことになり、罪悪感でいっぱい。
他にも色々あって精神的にも落ち込んだりと私の暗黒時代といった感じです^^;

そんな慌ただしい中でも、子どもたち相手の授業が無いというのはやはり普段よりは余裕があり、自分を見つめ直す時間を持つことができました。

そこから自分を見つめ直すこと数ヶ月。

教員の仕事に誇りを持っていましたが、
家でも仕事をしないと追いつかない余裕のない日々に、
「これって幸せかな?」と疑問が湧くようになりました。
「大好きな家族との時間を犠牲にしてまでやることなのかな?」

さらに、
学校で私がやっていることは、子どもたちの幸せにつながっているのかな?」
「休み時間には元気いっぱいのキラキラした子どもたちが、
チャイムで時間を区切られて、まだ遊びたいのに教室に戻り、席につく。
興味のある授業なら楽しそうだけど、興味のない授業では元気がなくなる子どもたち。」
「小さい頃から運動会などでも競争して、人と比べられて、これって幸せ?」
「主体性が大事と学校ではよく言われているけれど、朝から夕方まで学習する内容が決まっていて、校則も決まっていて、どこで主体性を発揮できる?」

一度、考え出したら、止まりませんでした。

もちろん学校の良さもあると思います。
周りの友達や先生からいい刺激をもらえたり、学校に行っていれば学力もあまり偏ることなく身に付く。
他にもたくさんあると思います。

しかし、そういったことがきっかけで、
「これは私のやりたいことではない」という結論が出て、
コロナが始まってから、1年3ヶ月後の3月に退職しました。

②に続きます♪



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