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12日目:優しさのベクトル

夏休み期間中ということもあってか、家族の話題が多くなりがちですが、今日は夫と私の優しさの表し方の違いについて書いてみようと思います。

夫婦の関係性

まずは基本情報(性格や人とのかかわり方など)

・夫 〜 穏やか、まじめ、優しい、理性的、3兄弟の長男のためか責任感が強い、友達づきあいは超狭く深くというタイプ
・妻  〜 明るく元気、感情表現がわかりやすい、姉と弟がいるためか人付き合いは柔軟、わりといちゃりばちょーでーの精神(道産子だけど)なので友達が多い

もともとあまりケンカをしない夫婦なので、周りからは「ホント仲良しだね」と言われることが多い。(ま、私が一人でプリプリ怒ってても、夫がうまくスルーしてくれて、衝突しないで済んでいるという感じだけどww)

夫婦のパワーバランスとしては、家事分担にもあらわれているように、基本的に対等。

それぞれが個としての考えや意見がしっかりあるので、新聞やテレビのニュースを見ては何かと議論しあったり、子育ての方針なんかも、意見が食い違うと時間をかけて話し合って同じベクトルで動けるようにしてきた。

お互いに相手を必要としているけれど、依存はせず、適度な距離感を持って支え合ったり助け合ったりする関係。

優しさのベクトルの違い

ただ、愛情表現というか、相手への優しさのベクトル(方向性や方法)には、多少違いがあるように感じる。

例えるなら、夫は主人に忠実な犬で、私は自由気ままな猫みたいな感じ?(テキトーに言ってみた)

夫は、とにかく妻を喜ばせたい、期待に応えたい気持ちが強く、妻の嬉しい顔を見ると自分も嬉しい、といった様子で、典型的な尽くすタイプの人。

そんでもって私はというと、ただ一緒にいられることが幸せ、自分も夫も嬉しい・楽しいことが一緒にできたらもっと幸せ、みたいな何かを共有したいタイプ。

なので、何か選んだり決めたりするときには、夫が譲り、私を優先してくれることが多いように思う。

我が家のあるある

そんな関係の夫婦なので、夜急に私が「アイス食べたーい!でも今日買うの忘れちゃった…。」というと、すかさず「買ってくるかい?」と夫が言って、本当に買いに行ってくれるし、ラーメンを食べに行く時も「ナオミはどこ行きたい?何系が食べたい?」と最初に聞いてくれる。

夫が私に優しいのはとても良いことで、もちろん嬉しいし有難いのだけど、やってもらう立場にばかりいると、何も悪いことはしていないのに後ろめたい気持ちが生まれたり、申し訳ない気持ちになったりもする。

しかも夫、私が何か「夫のために」という強い思いによって行動を起こすと、それを負担に感じるようであまり喜ばないどころか困った顔をする。(たぶん、押し付けられるのが嫌いなんだと思う)

そこで私は、20年ほどの長い付き合いの中で、お互いの利益や想いを一致させるにはどうしたら良いかを考え、一つの結論にたどり着いた。

違うベクトルをどうおさめるか

ざっくりいうと、優しさのベクトルは違えど、お互いがお互いを想っていることは明らかなのだから、方向や種類の違うベクトルをなんとかうまく複数組み合わせて、全体として調和が取れていれば良いってことよね?

であるなら、答えはカンタン!

一緒にやりたいこと・行きたいところ・食べたいものを私が提案し、夫がそれに応え、2人で行動する

これが一番、お互いの想いが一致する!!

ということで、ここ数日の我が家。

夫は昔からラーメンの食べ歩きが好きだったし、私も息子もラーメンが好き。食事担当の夫の負担も軽くしたいってことで

私「明日のお昼、ラーメン食べに行きたい!」→新規のところを開拓し、夫も喜ぶ

その帰り道、「そこ左曲がったところに新しくジェラート屋さんできたの知ってる?(行ってみたい の意)」と夫。

私「今日はもうお腹いっぱいで無理だけど、ジェラート気になるね!じゃあ明日一緒に食べに行こうよ!」→子どもたちが出かけてる間にデート♡

ちなみに明日は、夫が仕事の資料にしたいと言っていたDVDを一緒に観る約束をしている。

うちにはテレビが一台しかないので、子どもがゲームをする時や私が録画したテレビ番組を見る時などは、その人がリビングとテレビを占領することになってしまう。そのため普段から夫はテレビを使うのを譲ってしまうというパターンが多い。

夫「別に急いでないから(観るのは)いつでもいいよ。」→私「観ようと思って今日(DVDを)準備した(目に見えるところに出した)から、私もう観る気満々だよ♪明日の午後にでもコーヒー飲みながらゆっくり観ようよ!」

とこんな感じで、お互いを思いやる気持ちは大切にしつつ、絶妙な塩梅で調和をとっています♪

夫婦円満の秘訣というと大袈裟だけど、折り合いをつけるというか、お互いのちょうど良いを見つけるのが大切なのかな〜と、夫だけでなく息子も含めた共同生活を送りながら感じますね。

夫婦の数だけそれぞれの形、関係性、優しさのベクトルがあると思うし、価値観もみなそれぞれ。

でも、このどうしようもない個人的な日記が、偶然誰かの目に留まり、どのかの誰かの、何かの参考になったら幸いです。