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17日目:目的と手段を履き違えてはいけない

昨日投稿した『"あざとい"か否かの境界線』について考えていたら、私がいつも思っていることというか、気をつけていることと繋がったので、今日はそれについて書いてみたいと思います。(昨日の投稿はこちら↓)

目的と手段の関係

日常生活の中で、「それって何のためにやってるの?」「そのやり方じゃなきゃいけない理由って何?」「そもそも必要なことなの??」と感じる場面によく出会う。

そういう時は大抵、目的と手段がごちゃまぜに認識され、大事な目的が忘れられていたり、なぜか手段が目的となっていたり(手段の目的化)するよう。

ここで念のため、"目的""手段"とはなんぞやを確認しておく。

【目的】①実現しようとしてめざす事柄。行動のねらい。めあて。「当初の目的を達成する」「目的にかなう」「旅行の目的」②倫理学で、理性ないし意志が、行為に先だって行為を規定し、方向づけるもの。(出典:デジタル大辞泉)
【手段】ある事を実現させるためにとる方法。てだて。「手段を講じる」「目的のためには手段を選ばない」「強硬手段」「生産手段」(出典:デジタル大辞泉)

そうなの!あらためて読んでみるとわかりやすいんだけど、"目的"と"手段"というのはセットなのよ!

何かの行動には、必ず最初に目的があって、その次にそれを達成するための手立てとして手段がある、というわけ。

身近な掃除を例にして考えてみると、清潔な環境で生活する(目的) ために、掃除機をかけて部屋をきれいにする(手段)みたいな感じかな。

『何のために』 『どうするか』

一番大事なのは、目的である『清潔な環境を保つ』ことであるので、それまでの手立て、つまり手段が雑巾掛けになったりコロコロになったり、クイックルワイパーになったりしても、『部屋が綺麗に』なりさえすれば目的が達成されたことになるため、全く問題がない。

ということは、手段は必要に応じて変えて良いと言える。

挨拶とかもわかりやすいかな。よく親が子どもに「ご近所さんや知人友人に会ったら、こんにちは、というんだよ」などと教えるが、実はこれは目的ではなく手段だったりする。この場合の目的は、大きく考えると『人間関係を円滑にするため』といったところか。

なので、ただ「おはよう」や「こんにちは」を言えば良いというわけではなく、相手に良い印象を与えることが大事!

そこで今度は手段がとても重要となってくる。どのような態度で、どのような言葉遣いで行うべきか。相手や状況によっても全く違った挨拶になるし、なかなか難しい。

ただ、目的に立ち返って考えると、された相手が良い気分になるように挨拶ができていればOKなんだよね。

私も我が子にはこの手段のところをていねいに(時に厳しく)教えてきた。「そもそも何のために挨拶をするのか」という目的のところも合わせて説明してあげると、達成ポイントが明示されるため、本人が自ら考えてそれに向かって行動できる(自分で手段を選んで実行する)ようになっていくのかなと。

このように、目的と手段の関係性を正しく理解し、分けて考えることができると、一つ一つの行動が意味のあるものとなり、目的も達成できるのではないかと思う。

仕事でよくみかける『手段の目的化』

ところが仕事の現場などでは、本来の目的がどこかにいってしまい、手段がさも一番大事な目的のようになっているという現象がしばしば起こる。

前の職場(福祉系)であったのは、『利用者の声を聞き、それを生かしてより良いサービスを提供する』(目的)ために、『アンケートを取る』(手段)はずなのに、いつのまにか『アンケートを取る』ことが目的となり、ただの業務と化してしまったという事例。

そうなると、アンケートを取った時点で目的が達成されたことになるため、せっかく頂いたご意見も、ただ結果をまとめただけで、その後に生かす気配が全くないという状況に陥ってしまう。

何のためにやってる業務だよって話。

あとは、ちょっと専門的な(特別支援にかかわる)話になるが、日常生活で困りのある子どもがいた場合に、知能検査や発達検査を受けることがあるのだけど、そもそもこの検査の目的は『その子のことをよく知り、困りごとを減らすための対策を考える手がかりを見つける』ことであるので、検査という手段を用いて『どれくらいの力があって、困りに繋がる認知の偏りがどこにあるのかを見つける』という流れとなる。

しかしこの、本来手段である『知的な力や認知の偏りを見つけること』を目的化してしまうことがとにかく多くて、IQだとか数値だとか偏りがわかってはい終わり、となるケースが後をたたない。

それがわかってからが大事なのに、その結果をどう生かしていくかという視点(目的)を完全に見失っているのである。

ブラック校則も同様

それから、学校現場(教育関係の仕事もしていた)でもよくあるなと感じていて。

我が子の学校でもそうだし、自分が子どもの頃のことを思い出しても、「あれ、おかしいな」「なんで⁈」となることがいっぱいある。

いわゆる"ブラック校則"と呼ばれるものなんだけど、派手な色の靴下はダメとか、刈り上げはダメとか、あげたらキリがないくらい下らない決まりがいっぱいあるよね。

きっと本当は、『生徒が集中して学習活動に臨めるように』とか、『秩序が守られ、安心して学校生活が送れるように』というのが目的で作られたものだと思うんだけど、そうとは全く思えない内容だし、仮にその目的を果たすための手段として服装や頭髪の決まりがあるとしても、全くもって必要性を感じない項目だらけ。

しかもよりによって、その目的化された手段を大真面目に実行する先生方も一定数いるわけで、完全にきまりを守らせることが目的になっちゃってるよね。

目的と手段を履き違えてはいけない(まとめ)

さて、私がいつも大事にしている『目的と手段を履き違えてはいけない』について長々と書いてきましたが、いかがでしたか?

大人になると「目的意識を持って行動しろ」なんて言われることもありますが、仕事に追われているとそれどころではないこともありますよね。

そんな時は、目的と手段を分けて考えてみると、自分がどう行動すべきかの筋道が見えてくるかもしれません。

私もこんな世の中だからこそ、我が子の子育てや、せめて自分がいる職場・業務の中だけでも、目的を見失わず、本当に必要な手立てを講じ、より良い方向へ向かうように動いていきたいと思っています。

最後まで読んでくださってありがとうございました!!

枝葉ばかりでなかなか木の幹にたどり着けない私の文章は、自分で読んでも読みにくいです。。(ごめんなさい)

ですが、なんとか毎日続けて書くことを目的として頑張っているところなので、生暖かく見守ってくださると嬉しいです。