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慈悲の瞑想①〜まずは自分の幸せを願う〜


こんにちは。なおまるです。

お元気ですか?
わたしは少し夏バテ気味です。
暑いと茄子や生姜焼きが食べたくなります。

今夜は七夕ですね。
近所でも七夕飾りに子どもたちが願い事を書いていました。

色とりどりの短冊。
個性豊かな筆跡。
ひとりひとりの願い。

チラリと目に入った願いの数々を見て、
「叶いますように」と目を閉じました。



これを読んでくれているあなたは、
静かに心を整える時間は好きですか?


わたしは結構好きです。

でも、頭も口もおしゃべりなので、なかなか意識をしないと、いつでも心の中はにぎやかなお祭り状態。
意識的に持つぞー!と思わないと、静かに心を整える時間って持つのが難しいなあって感じています。

慈悲の瞑想


今日はそんな私の最近のお気に入り。
慈悲の瞑想について、少し話します。

コンパッションを学ぶ中で、
段階的に瞑想をする機会があります

瞑想にも色々なものがある


瞑想にもいろんな種類があって、
考えた人すごいなあと思います。


わりと頭を空っぽにする系のものもあれば、
問いかけについて考えてみるもの、
呼吸や身体感覚に意識を向けるもの、
色々です。

慈悲の瞑想は、そんな中でも、
リードしてくれる人の声をなぞって、
言葉を唱える系のものです。


自分の幸せを願うことからはじまる


慈悲の瞑想が好きなところ、
色々とあるのですが、感銘を受けたのは
自分の幸せを願うところからはじまることです。

わたしは普段から神社仏閣があると
立ち寄って参拝することが好きです。


そこで手を合わせて思うことは
その時々のトピックはあることとはいえ
家族や大切な人のことが多かったように思います。

自分の幸せは勿論願うのですが
どちらかというとまずは家族や大切な人のことが出てきていたように思います。


でも、先日お伝えしたコンパッションの3つの流れのように、「思いやりは巡るもの」です。


自分自身を満たすことが出来て
人を満たすことが出来て
人から満たしてもらうことが出来て…


巡っていくものだと思うのです。


▽コンパッションの3つの流れについて少し紹介しています


慈悲の瞑想では
普段の生活ではあまり考えないような言葉を
リードの声に沿って
心の中で声にしていきます。

心の中で声にした時のざわめき。きらめき。落ち着かなさ。そして、安堵。



自分が幸せであるように。
自分の苦しみや悲しみがなくなるよう、
自分の夢や希望がかなうよう、願う。

その言葉を心の中で声にした時のざわめき。
またはきらめき。
落ち着かなさ。そして安堵。

それらのなんとも言葉にならない感覚を、
じっくり味わうことが、
この瞑想の面白みなのかなあと感じています。


ああ、まずは自分の幸せを願ってもよいのか。


許可をされるものでもありませんが、
そう、不思議と安心する感覚があります。


同じ瞑想をやっていても、
その時の自分のコンディションによって
感じるものは大きく違います。

ましてや、人によっても感じ方は千差万別。
それぞれの味わい方があるのだと思います。

そしてこの慈悲の瞑想には、
他にも私をざわめかせる部分があるのですが。

一旦今回はここまで。

まずは自分の幸せを願うところからはじめる


まずは自分のことを願う。
そこからはじまる流れを改めて味わってみたくて、言葉にしてみました。



七夕の夜空を眺めて。


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