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オランダ生活、丸5年を迎えて🇳🇱

こんにちは!先日、日本からオランダに生活拠点を移してから丸5年を迎えました。2019年の5月初旬、スーツケースを抱えてオランダに移住した日…今でも昨日のことのように覚えています。当初は義則を抜きにした「母子移住」でした。

それを心配した私の両親は、一緒にスーツケースを抱えてオランダへと一緒に来てくれました。あまりにも無謀だ!と心配していたのと、娘がどんなアドベンチャーを始めるのか!?とちょっとワクワクもあったと思います。笑

学校なし、職なし、家だけある

娘が通う学校は決まっていましたが、この時はまた4歳の誕生日を迎えていなかったため、学校には入れず。翌月の誕生日を迎えたら通えるものだと思ったら「夏休み明けの新学期からにしましょう」と言われ…予想外にも生活の立ち上げ中、娘は学校に通わないということになってしまったのでした…(いや、邪魔って意味ではないんだよ…笑)。

希望する学校に転勤が決まった義則の意思を尊重して「1年は母子で生活する」と決めて渡ったオランダ。義則がいないその間は、私は仕事をせず、生活の立ち上げに専念すると決めていました。よってこの時は、

学校なし、職なし、家だけある

という状況でした。

3月末まで学校勤務で、社会性の中でバリバリ仕事をしていた私にとって、急に専業主婦的な役割に逆戻り。娘が学校に通わない4ヶ月は、生活の立ち上げに忙しかったとはいえ、「働いていない」ということの物足りなさをひしひしを感じる日々でした。

母子移住はオススメしないほど、落ち込んだ秋冬

3ヶ月ほど一緒に暮らしてくれた両親が帰国してから…ここからが最もキツイ時期だったと思います。オランダの悪天候に日照時間の短さ、ちょうど生活が少し慣れてきたころから気持ちが落ち込むようになりました。

役所からオランダ語のレターはどんどんやってくるし、その都度、娘の学校の保護者や周囲の日本人の方々に頼らなければいけない日々。公共サービスにアクセスしようとも、電話がつながらなかったり、話が通じなかったり…「何がわかっていないのかがわからない」という状況は、私をどんどん追い詰めていったように思います。

生活の中で起きる嬉しいこと、楽しいこと、そして辛いことや怒りなんかを消化できない最大の原因は「義則が隣にいないこと」でした。それを自覚したのは、娘の担任の先生に一時帰国の相談をした時のこと。

「私もね、夫がアメリカの大学で研究をしているから、母親1人で思春期の娘2人を育てている状況なの。あなたが今欲しているのは、子どもが寝静まった夜、隣に座って今日何があったとか、こんな気持ちになったとか、何気ない話をしてくれる存在なんだと思う。それが時差の関係ですぐできないのよね。私にとってこの国は「ホーム」だから、何とかやっていけるけれど、あなたにとってここは「知らない国」。それはきっとしんどいでしょうね。だから良いのよ。一度、日本に帰っても。幸いにもまだ義務教育期間には入っていないからこの子は学校を休んでも大丈夫。日本に帰ってパワーチャージしてきなさい。今度、家族全員でここに戻ってきたら、あなたはもう大丈夫になっているはずよ」

この言葉を聞いた日の夜、私は思い切り家で泣きました。やっとわかった。自分が何を欲していたのか。喉のあたりまで降り積もった埃みたいなものの存在が何かわからなかった日々。オランダに移住すると決めたのに弱音を吐いている自分が許せない部分も大いにありました。でも良いんだ。うん、1回帰ろう。

ということで、年末に娘を連れて日本へ一時帰国したのです。

家族3人の生活が始まって

義則の退職を見届け、一緒にオランダに戻ってからというもの、今日という5年目を迎えるまで、心身ともに健康でやってこれました。コロナの時期もそこまで落ち込むことはなく「家族が一緒なら大丈夫」と強く生きてこれました。

幸運にも、様々な人たちの支えがあって事業も軌道に乗り、義則も私も「自分の好きなこと」を通して生計を立てることができています。私たちが精神的に落ち着いた生活を始めることができたからこそ、娘もすっかり学校に馴染むことができて、毎日楽しく通っています。

もちろん、人生には様々なことが訪れますが、義則がいない生活を送ってから気がついたのは、私にとって大切なのは「どこで生きるかではなく、誰と生きるか」ということでした。そして、オランダに移住して、ゆったりとした生活を送る中で気がついたことが1つあります。

「誰と生きているか」が実感できない日々への不満

夫婦で高校教諭として働いていた頃、私たちの生活は「ややすれ違い気味」でした。もちろん、家に帰れば顔を合わせますが、時間差で帰宅して家事育児をして、お互い疲れ切って就寝。夜遅くまで仕事に追われることもありました。その時もラップトップの画面を見て、お互いの顔を見合わせてゆっくり話すような生活でもありませんでした。

あの頃の私たちは「同じ屋根の下」に暮らしながら「誰と暮らしているか」を実感できない日々だったのかもしれません。お互いに目を合わせて、ゆったりとソファに座って、今日はどんなことがあったとか、今度の休みは何をしようとか、娘のこんな成長があったとか…ゆったりした状況だからこそ自然と湧いてくる言葉よりも、「明日の予定」や「忘れてはいけないこと」とか、業務連絡に近いことばかりを交わす日々。

「子育て中はこれが当たり前」だと思っていたけれど、オランダに移住して子育てをしながらでもゆったりと会話をする時間が確保できるようになってから、夫婦関係は格段に好転したように思います。そして、それが子どもにとっても良い側面となっていることは確かだと感じます。

夫婦関係に関して言えば、とても贅沢な時間を過ごしているようにも感じますが、よくよく見渡してみれば私の周囲の保護者たちにとっては当たり前のような生活。子どもを預けてデートをしたり、子どもが巣立った後も変わらずいいパートナーシップが築けるように、子育て期間中からしっかりコストをかけているようです。

1番大切にしたいことを譲らない

私にとって最も大切にしたいのは家族です。この家族というチームがバラバラになってしまわないための選択をし続けるということを第一に、ここまで生活してきました。具体的には、家族で過ごす時間が極端に短くなるような仕事は選択しないし、チームの一員としての役割を果たせなくなるような選択はしません。これが私たちにとって一番大切な価値観だと認識しています。

仮に、オランダの生活の中でこの価値観が揺らぐようであれば帰国も考えます。前述した通り「どこで生きるか」よりも「誰と生きるか」が大切だからこそ、家族が家族でいられるために必要な要素を維持しながら生きられる場所を探すことになるのかもしれません。

そういった生活を維持しながら、あとどれくらいオランダで生きていくことができるかはわかりませんが、「日本に帰りたい」という気持ちがゼロにならないのが「故郷」のパワーなのかなと思ったりします。

今のところ、オランダは私の故郷ではありません。でもいつか故郷になり得たりするのかな、なんて期待や不安も入り混じっています。

あとどれくらい続くかわからないオランダ生活。
それでも、大切なことを譲らずに生きていくことだけはちゃんと心に決めて。明日も明後日も生きていきたいと思います!


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