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低学年は休校、高学年は授業の「研修デー」

こんにちは!昨日は私の勤務日でしたが、授業は1つもありませんでした。というのも、昨日は「自習日(以下"studiedag")」だったからです。

学校裁量で最大7日まで好きに設定できる

オランダの初等教育では、学校が最大7日までランダムに「学校研修日」を設定することができます。この日は児童生徒は学校が休みになり、教職員が研修を受けたり、集まって大事な会議を「児童生徒がいない状態で」行える日です。教職員にとってはとても大切な日で、慌ただしく過ぎる日々の中で「私たちは今どんな問題に直面していますか?」と立ち止まって話ができたり、学校に必要な研修を受けることで教授法をアップデートしたり、生徒の問題について話し合ったり、データを整理したり…ということに時間を費やすことができます。

studiedagを2分割して半分の学年がお休み

ちなみに、私の娘の小学校は昨日はstudiedagではなかったので、いつもの水曜日と同様、午前中授業で帰宅しました。一方で、私が勤務している学校では、低学年だけがstudiedagでした。。この"低学年"とは、日本で想像する「低学年(小1〜小2」ではなく、オランダでは小学校自体が8年制(義務教育期間は7年)なので、今日のstudiedagは、

・4歳クラス(グループ1/幼稚園年中)
・5歳クラス(グループ2/幼稚園年長)
・6歳クラス(グループ3/小学1年生)
・7歳クラス(グループ4/小学2年生)

に適用されます。…ということで、下の4学年の学校が休みで、上の4学年は通常授業がある日になりました。私は4〜6歳クラスを教えているので、昨日は授業がなかったのです。

どうやって授業を組む?

…ということで、私は授業がないのですが、校長に頼まれてパートナーのMarian(仮名)の授業にアシスタントで入ることにしました。昨日、Marianはアセスメントテスト(英語の習熟度をチェックするテスト)を行いたいと言っていたので、レベル別に分けた教材を配布して、それを回収するというのに人員が必要だということでした。

私たちがテストを行ったクラスはグループ5〜グループ8、つまり日本で言うところの小学2年生から小学6年生のクラスです。今回のstudiedagでは、このクラスに下の先生たちが入り、上の学年の先生たちは、今年度から新しく取り入れた算数の教材の使い方などについて会議をしていました。

つまり、(今回は)下の先生たちにとって必要な会議がなかったので、上の学年の補助として入り、上の学年の先生たちは自分たちに必要な時間として午前中を使うことができたということです。

今度は逆パターンがあるかも?

ちなみに、今回そのように行ったということは、次回のstudiedagは上の学年がお休みになり、下の学年は通常授業をすることになります。その時に下の学年のクラスに上の学年のクラスの先生たちが入るかはわかりませんが、恐らくそれはないと思います。

…というのも、今オランダの小学校は子どもたちの学力を上げる取り組みに力を入れるように国から指示が出ていて、より良い結果を得るために比較的上の学年の先生たちが教授法を見直したりしている時期だからです。

よって、次のstudiedagも上の学年の先生たちは必要な研修を受けたりするのだと思います。

必要ところに必要な時間やコストをかけることが「公平」

ひょっとすると「前回も今回も授業をしなければいけないのか?」と下の学年が言うのではないか?と思う人もいるかもしれませんが、ここで必要なのは「平等」ではなく「公平」であることです。

公平は平等と異なり「必要なところに必要な支援がいくこと」です。つまり、上の学年が国の指示によって大変だと感じている場合、それを全体で分担し、公平へともっていくことが重要なのであって、「同じ回数だけ」の平等性を主張したところで、組織へのメリットはあまりみられません。

今、私の勤務校には勤務校の「大変さ」があり、それを解決していくことが、全体的なメリットにつながる場合「公平性」を重視して組織が動くことが求められます。

日本にも「教員研修日」の導入を

教育に対する期待が高くなればなるほど、教職員のプレッシャーは増します。一方で、プレッシャーが増すにも関わらず、教職員の資質を高めるための十分な時間が与えられなかったら、どうなるのでしょうか?

きっと、プレッシャーやストレスによって燃え尽きる教師が増え、学校現場から教職員の数が減っていき、さらに教育現場は忙しくなるでしょう。一方で、自分が潰れる前に教職を去ることも1つの道です。言葉を借りれば、「逃げるは恥だが役にたつ」という考え方も、完全に否定できるものではありません。精神疾患を患った人に対して国全体で見れば「医療コスト」がかかる訳で、大きな絵として見ればそれは決して「その職場だけ」のことではないということです。

そういう意味で、教育現場に期待をかけるならば、教職員がいきいきと生産性を上げて働ける職場環境を提供することも必要です。その1つが私はこの「研修日」の導入だと思います。生徒がいない学校で、現状の組織のあり方にフォーカスしたり、今の状態を整理するための時間が教職員には必要です。児童生徒が学校にいるのといないのとでは、先生たちの緊張感が大きく異なり「自分たちのこと」にフォーカスできる顔つきになるのを何度も見てきました。

児童生徒の毎日に関わる人たちだからこそ、余裕のある職場環境で、ゆったりと児童生徒に関われる日を設定すること。日本の教育にもこの「研修日」が設定できたら良いのになと思っています。


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