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"声の大きい人"が場を制した風になることの問題

こんにちは!以前、野本さんがこんな記事を書かれていました。

上記のものは有料記事のため、読者になれば波線以降を読むことができます。

今日は娘が5歳の時にオランダの小学校で習っていた「教室での議論のルール」について書きたいと思います。


5歳の娘が習う「グラウンドルール」

さて、私と夫の義則はとにかく話をするのが好きで、いつもあれやこれやと話をしています。もちろん娘がそこにいれば、5歳(今は7歳)であれ、議論に入ることは歓迎しますし、彼女の脳内にはたくさんの「?」があるのがわかります。

「それはどういうこと?」
「何でその時そう思ったん?」
「◯◯ってどういう意味?」

きっと自分も"30代の人間"…と思いながら議論に入っている気持ちなんだろうなぁといつも思うのです。笑

ただ、仕事の話をしている時はさすがに彼女もその場の空気を読もうとするようで、何故かこのポーズをします。

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指を挙げるのがオランダ流の挙手(いや、挙指?)

これは、オランダ版「手を挙げる」のポーズです。厳密には「指を挙げる」ですが、手を開いた状態で上げないのは、その姿勢がナチス式の敬礼に見えてしまうからだと言われています。

それはさておき、本当に話を聞いて欲しい時、娘はこの「指挙げ」と同時にもう片方の手で、このポーズをします。

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片手は上、片手は自分の口…

娘は両手を使って同時にこのジェスチャーをすることで、
「静かにしています(ので)、ちょっと言わせてください!」
というメッセージを送っているのです。

家でまでこのポーズをする必要はないのかもしれませんが…ついつい学校の癖で?私たちの話に割り込むのが難しいと感じているせいで?(もっと子どもに譲ってやらんかい)、娘はこのポーズをするのでした…

人が話をしている時に割って入ることは許されない

「juf(先生)が話をしてる時とか、友だちが話をしている時は、途中から話をしたらあかんよ」

「言いたいことがある時は、指を挙げて待つねん」

「指を挙げながら、答えを言ったり話をするのはブッブー。静かにね」

私は正直、「議論をする時の姿勢」を5歳の娘が日々の教育活動の中で習っていることにとても驚きました。これは皆が安心して議論できる場にするために全員が守らなければいけないルールだと習っているようです。

全体で先生の指示を聞いている時は「社会性」を大切にする時間。自分の意見を持つことは良いことだけれど、それを表明するには手順があります。
グラウンドルールを守るからこそ、みんなが安心して話し合いができる雰囲気が出来上がるということなのかなと思います。

「声なき声に耳を傾ける」という姿勢づくり

白熱した議論では、冷静さを失う人が多くなりやすく、声をかぶせて話す人も増えることがあります。私も議論をする時はなるべく落ち着いて、相手が感情的になればなるほど、自分は冷静さを保って反対側へ行くように気をつけています。

「"声が大きいこと"が議論をドライブする要因になってはいけない」

ある小学校の先生に子どもたちの議論の話をした時、「声なき声に耳を傾けることの大切さ」について教えてもらいました。

「子どもたちはグラウンドルールについて学ぶ中で、一人ひとりの声がきちんと大切にされるために必要な環境を知ります。それはつまり、声をあげにくい人が声をあげられる機会を全体で作るための練習です」

オランダの「安心安全な学校づくり」はこんなところにも現れているんだな〜。と感心しました。もちろん"いつも"上手くいく訳ではないでしょう。また、先生たちに言わせれば、やっぱり年度はじめは大変だそうです。少しずつ、何度も何度も繰り返していく中で全体に染み渡らせていくようなイメージだそうです。

議論の目的は論破ではなく、納得解を導き出すこと

異なる価値観や意見を持った人同士の議論が行き着くべき場所は、「納得解」かもしれません。そして、その色とは限りなくグレーに近いのではないかと思います。

人間一人ひとりが異なる先にあるのが「黒か白」だとすれば、それはどちらかが「参りました」と全ての投げ出した状態なのではないかと思うのです。だから、私は限りなくグレーに近い「納得解」こそ、議論の意味があったと言える色なのではないかと思うのです。

声の大きさで議論を導かない

前の記事にも書きましたが、私が訪れたオランダやフィンランドの学校の先生たちは「声の大きさ」で生徒たちを導きませんでした。「せんせい」という立場の人が大声を出すことの影響力の大きさを知っているかのように、だからこそあえて「声で制しない」ということに気を付けているように見えます。

また、オランダの小学校行事に関して言えば「全校」で行う行事はかなり限られています。例え運動会のように全校生徒で実施するような行事があったとしても、基本的には学年で行うことが多く、人員が必要となれば積極的に保護者をボランティアとして迎えます。「全校集会」のような400人を超えるような生徒に対して誰か1人が話すようなことは1年を通してほとんどないようです(…というか、そんなこと通用しなさそうです。笑)。

「静かにしなさい!!」と教員が叫ぶようなこともなく、(基本的には)大声で叱られたり、大声で指示を受けるというような経験もなく大人になっていくのかもしれません。

感情的な動きで何かを誘導することはタブーとして認識している点も興味深いです。教師が感情的にならないからこそ、子どもたちも感情的にならない。結局、先生と生徒の間に人としての線引きはなく、「みんな同じ」を態度でも徹底しているように見えます。

声の大きい人がそれを利用して議論を制した風になるのは「誰かを置いてけぼりにしているということ」。ある先生はそう言いました。「安心安全な学校」を目指すことはとても難しいとは思いますが、やはりそれを目指そうとする姿には見習えるところがあるように感じます。











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