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夫がしばらく出張だと嬉しい?

こんにちは!3月も終わりに近づいてきましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?日本で暮らす人たちにとって3月は別れの季節ですね。Facebookやその他のSNS上でも、そんな様子を目にします。

一方でオランダの新学期は9月に始まるので、3月は出会いや別れを感じる季節ではありません。ただ、私は日本の春休みに合わせてオランダでの学校視察ツアーを行なっているので、私にとって3月は出会いの季節でもあります!


1週間家を空ける私と、ワンオペの義則

視察の行程はだいたいいつも1週間で、月曜日から金曜日まで毎日、異なる学校を訪れるようにツアーを組んでいます。前後の週末には観光をセットして、ツアーガイド(とまでは言いませんが)、皆さんを観光地にお連れするのが私の仕事です。

ということで、その1週間、視察に来られた方々に朝から夜まで(宿泊も含めて)アテンドする私は、1週間家に帰りません。もちろんその間も日常生活は続くので、義則はワンオペで家事を担ってくれます。

今回の視察期間中は、自分の仕事(日本語教室)の予定にも都合をつけてくれた彼。「学校の送り迎えから、食事や洗濯などの子育て家事全般に集中できるようにした!」と言ってくれました。ありがとう!

「旦那は元気で留守がいい」…?

時々、日本の友人たちの発信などで「休日に夫が家にいると鬱陶しい」というような言葉を聞くことがあります。私としては、「子育て家事を担ってくれる人がいなくなったらマンパワーが欠けて大変!!」と思うのですが、どうもそういうことではないようです。

そして、最近面白かったのはこちらで暮らす日本人家庭の方(お母さん)が旦那さん(日本人)の長期出張について話をすると、国によってその反応が違うということでした。

その方によると、日本人の方の中には、
「えぇ〜、旦那がいないなんて良いじゃない。羽を伸ばしてゆっくりできるね!」
と言う人が多く、そうじゃない人たちからは、
「そんなに長い間、夫がいないなんて大変じゃない!」
と言われることが多かったということでした。

日本ではまだまだ「家事子育ては女性のもの」?

どの日本人に聞いてもそのような回答が返ってくる訳ではないと思いますが、日本の文化にはまだまだ「家事子育ては女性がするもの」という、敢えて言うならば「クラッシックな考え方」が根付いているのではないかと思います。

一方で、こちらで子育てをして感じるのは「男性と女性が(ほぼ)フェアに家事子育てをするのが当たり前」というか、そのようにして社会が動いているように見えるということです。小学校の送迎に行けばママと同様にパパもたくさんいますし、視察先でも同様です。娘を友達の家に迎えに行けば、パパが料理をしている風景だってあります。さらに言うならば、"男女(パパママ)"という分け方ではない場合だって存在します。

日本の文化について話をする時、周囲の人から「日本ではまだ女性は家庭に入って、男性が外で働くという文化があるの?」と聞かれることがあります。ひょっとしたら「アジア=そういった国」というイメージがあるのかもしれません。

そんな時、子育て中のパパママに意見を聞けば、
「いやまぁ、でももう21世紀、2023年だしね。苦笑」
という返答があることも。

「子育て家事はチームで行うもの」という合意形成

私自身、家事子育てをどのように分担するかについては義則と時間をかけて議論してきました。そもそも私たちは全く同じ職業(公立高校の教諭)という立場だったので、子どもを授かり私が産休育休中だった時は、社会に出て労働者として活躍する彼を羨ましく思うと同時に「子育てよりも外で働くこと」の方が大変であるかのように見えたことがありました。

「仕事を終えて帰って来てからまで、子どものおむつ替えや入浴をお願いするのは申し訳ないか…仕事で疲れてるだろうしな…」

そんなことを考えたことも少なくありません。ただ、オランダに来て、マッサージを施術しているママにお世話になった時に言われたことでハッとしました。

「特に女性はね、自分さえ犠牲になれば何とかなる。と思って我慢をしやすい生き物だと思う。だからこそ、"敢えて開放する努力"が時に必要ね。自分を犠牲にすることで逆に失われるものがあるのよ。だから、自分を犠牲にするのではなく、シェアすることが大切」

もちろんその頃には、私の産休育休も終わっていた訳ですが…
私たち女性には「自分さえ我慢すれば」という思いが簡単に巡る時があります。でも、そこで必要になるのは「我慢」ではなくて、「チームとして合意形成を得る」という一歩先を行く考え方なのだと気付かされました。

女性から持ちかける「合意形成」

「私(女性)にはパワーがない」
「私たち(女性)は男性に従うしかない」

仮にそういった考え方を社会が女性に植え付けていたとしても、私たちは無力ではありません。ひょっとしたら微力かもしれませんが、無力ではないと思います。

「夫や旦那がそう言うから仕方ない」

社会が、男性が、歴史や慣習が女性にそう思わせていた(る)としても、家庭内で「女性から合意形成をもちかけること」は出来るのではないか…周囲のパパママから夫婦関係についていろんな話を聞いてきた今、私はそう思います。私たち女性は自分を犠牲にすることで首を縦に振ることに"NO"を突きつけ、賢く合意形成を促すくらい強く生きることで自分たちが本当に得たい納得を得られるのかもしれません。

一方でオランダの社会もまだまだ女性にとってフェアな国だとは言えないかもしれません。もちろん日本に比べれば進んでいる方だと言えますが、実際はパートタイマーの仕事を担うのは女性の方が多く、上級管理職に就く人たちや研究者にも男性が目立つと聞きます。データを見てみると、政治においてディジョンメイクが出来る女性の割合は2010年の33%から2020年には48%まで増えていますが、それでもまだ半分です。賃金の差も引き続き開いています。

(参考)"Gender Equality Index 2020: Netherlands".  European Institute for Gender Equality. https://eige.europa.eu/publications/gender-equality-index-2020-netherlands (28 October 2020)

それでも、一般生活を見ていると子育てに関わろうとする男性が多いように見えるのは、女性が合意形成をもちかけているからかもしれません。そして、男性側にもそれを聞き入れる柔軟さがあるからかもしれません。

チームプレーができる状態をつくるために

日々の生活を潤滑に回すことは簡単なことではありません。もちろん労働市場に出て働くことは大変なことです。でもそれと同様に、家事や子どもを含めた「日常を回転させること」も大変な仕事です。

時に「専業主婦の仕事を時給換算すると…」というような報道なども散見しますが、「(時給換算した)給与に値するものが高い」というのは、ひょっとすると3億円を稼ぎ出す男性からすると「でもそれだけの給与の仕事でしょ?」となりかねません。相対的に見た時にどうかというところに頼らずとも、社会的にその価値が認められなければいけないと思うのです。そして、大変な仕事だからこそ、パートナー間で「シェアできるもの」として認識される必要があります。

「誰かが無理をすることで維持できる日常」はバランスを崩しています。言うなればサステナビリティー(持続可能性)を欠いています。平凡な日常が最も尊く、その尊さは持続可能なかたちなしに維持できないものではないでしょうか。

「合意形成する力」はどのようにして身につけられるか?

そういった意味で、社会で、地域で、学校で、そして家庭で民主主義に基づいて物事がなされるということはとても重要です。意外と見落とされがちな「家庭における民主主義」は子どもの頃、人格形成の時点で始まっているように思います。

そもそも子どもが育つ家庭でそれぞれの人格が尊重されているか、パートナー同士が適切な合意形成を行う様子を子どもに見せているか…そういったことが子ども自身が「どのように合意形成を行うのか」を体得するのにとても重要だと思います。

家庭におけるディシジョンメイクの場面で、子どもの意見に耳を傾けなかったり、子ども抜きで物事を決めてしまう状況では、その子が将来「自分も意思決定に影響する存在だ」と思うための基礎が作られない可能性があると同時に、大事な場面で自分の意見や主張をする方法がわからないまま大人になってしまう可能性もあるでしょう。

そういった意味で、北欧でも盛んに行われる民主主義のプラクティスや、オランダで義務化されている市民教育というのは「空気を読む」では到底説明できない民主的な合意形成を基盤とした社会を作る一つの方法だと思うのです。結局のところ、子どもたちが民主的な社会を作れるかどうかは、大人がそれを子どもたちに行動で示し、練習の場を設けているかにかかってくるのかもしれません。

今週末から始まる視察ツアーですが、家族あっての仕事です。支え合って生活をする義則と娘に感謝しながら、日本から来られる熱意ある方々とともに、オランダの社会のいいところもそうでないところも真っ直ぐ見つめられるといいなと思います。

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三島菜央<🇳🇱オランダ在住/元高等学校教諭>
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