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高校生のお試し授業

こんにちは!少しずつ気温があがりつつあるオランダですが、今日は曇り空で、気温は約20度です。暑くなったり、涼しくなったり…自分自身を気温に適応させるのに忙しい毎日です。

さて、娘の小学校では残り約1週間で夏休み。まだ2週間を残したところで通知表は配られ(笑)、「最終日まで授業しなきゃ!」という考えもなく、早くも脳内バケーションモードなところにゆとりを感じます。


事務の女性の息子が現れて

先日、私が英語講師を務める小学校に見慣れぬ来客がありました。出勤してみると、事務の部屋に2人の少年がいたのです。こんにちはと声をかけて聞いてみると、事務の女性の息子とその友人だとか。

「今日は学校が休みらしくて、うちの学校を見てみたいってことで来たのよ〜」

と話す彼女。

「今、何年生なの?」と聞くと、

「高2です」との回答が。

「教職に興味があるの?」と聞くと、

「それも選択肢の1つかな〜って!」と言ったのでした。

ちょっと授業見学に

「今日はいろんなクラスを訪れて授業見学させてもらうみたいで、菜央のところもよろしく〜!」

と言われ、彼らを迎え入れることに。

そうすると、小5の先生がやってきて彼らに言いました。

「うちのクラスで試しに授業をやってごらん。教材はあるし、見れば何を教えたら良いかわかるくらいのものよ。わからなかったら私に聞けば良いし。やってみたら?」

そして彼らもまた「はーい、やってみます!」と回答し、授業をすることになったのでした。

「やってみる」が大切な経験になる

そんな彼らを見て、こうやって「やってみる」が気軽に許される状況って大切だよな〜。と思ったのでした。もちろんこんな風に誰でもかれでもがやってきて「授業やってみます」が可能な訳ではありません。

今回はたまたま事務の女性の息子とその友達だったので可能だった訳ですが、彼らにとっては「小学校で働くとは」を体験できる貴重な機会だと思います。

自分にとって大切な進路選択をする時「これが正解だ」と盲目的に何かを信じることは後々リスクになります。私自身も高校受験の時に「音楽がやりたい!」と思ってかなり特殊な私立高校を選択しましたが、結局高2の夏に自主退学することになりました。退学に至ったことは「間違いだった」とは思いませんが、同時に失ったものがあったことも確かです(得たものもありましたが)。あの時、もっと色んな選択肢を知っていたら?もっとたくさんの人から話を聞く機会があったら?欲を言えば「やってみる」とか「体験してみる」という選択肢があったら…ひょっとしたら、受験をする前に立ち止まって何が自分にとってのベストなのか落ち着いて考えられたのかもしれません。

「教師になるつもりはあるのか?」と迫られた教職課程

同様に、大学で教員養成課程を履修していた時「教員になるつもりがないのなら教職を履修するな」という雰囲気も感じられました。私はどちらかというとすぐに教員になる気はなかったのですが、だからと言って教職課程の授業をないがしろにしたことはありません。

それでも、実習先の先生にも「教員採用試験を受ける気はあるのか?」と聞かれて「今はまだそのつもりはないですが、将来的には受験する可能性はあります」とはっきり答えた私に難色を示された記憶があります。

こんな話をすると、オランダの教員養成の先生たちはこう言います。

「オランダの教員養成課程でもたくさんの生徒が辞めていきます。先生という職業に憧れて先生を目指したのに、勉強を始めたら面白くないと思うこともあれば、実習に行ってみて実は子どもが好きじゃなかったんだとわかることも。教壇に立ってからそれを実感することもありますね。でも、それで良いんです。だって"この仕事は合っていない"と思っている人に教えられることほど悲劇的なことはないのですから」

もちろん、教員不足が続くオランダでそんなことばかりは言っていられませんが、教員養成の先生たちはその問題は「教職という仕事が人から社会から大切にされる社会を作ることでそれは解消される」と言います。つまり、教職を「なりたい仕事」にすることが重要なのであって、それを選ばない人を責める必要はないと言うのです。

結局のところ、私は大学を卒業してすぐに教師にはなりませんでしたが、少し遅れて教師になりました。それから退職して今はオランダにいますが、いつかは日本に帰ってもう一度先生をしたいという気持ちはずっとどこかにあります。

「この仕事でもやっとくか〜」くらいの気持ちで教職に就いている人ならすぐに追い越せる自信はあります。結局、人がそこで輝けるかどうかは、その都度「成長し続けたい」と思えるかどうかにかかってくると思うのです。

「ちょっと味見してみる」がリスクを減らすことになる

「そう決めたら、そうしなければいけない」という考えの中では、何かを選ぶことに緊張感が走り「なかなか選べない」ということに繋がりかねません。

とりわけ「続けること」だけに価値を置いている人は「やめること」を批判的に見るので、そういう人の元で「何かを始めること」は「やめられない」というリスクを負うことを決定づけます。

だとしたら「ちょっと寄り道」とか「ちょっと味見したい」という経験は、一見、優柔不断とか甘えのように見えるかもしれませんが、長い目でみたらその人の人生において重要なターニングポイントになることもあるのではないでしょうか。

一方で「寄り道だから」とか「味見だから」というスタンスで受け入れ先に悪態をつくことは別の話です。受け入れてくれる側へのリスペクトを忘れるような人間性ではいけないし、そういった人には毅然とした態度でそれを伝えるべきだと思います。

帰り際、彼らに「今日はどうだった?」と聞くと、「小学生は話を聞かん!」と言っていました。笑

そして(ひょっとしたら)そこから次の問題提議がなされるかもしれません。

「何故、彼らは人の話を聞かないのか?」
「彼らにこちらを向いて話を聞いてもらうにはどうしたら良いのか?」

そうやって仮説と検証を繰り返しながら物事は好転していくのだと思います。少なくとも、今回の機会は彼ら高校生にとって教職という仕事について知る良い機会になったと思います。

同時にそういった機会を与えようと思った小5の先生の在り方からも、「機会を与えみる」ということの重要性を学ぶことができたように感じました。


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