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持久走/水泳を休むことが単位に影響する

オランダもどんどん寒くなってきました。
寒い季節になると思い出すのが持久走

小学生の時、私は持久走が大嫌いでした。
朝、学校に登校してしばらくするとトトロの"さんぽ"という曲が流れ始めます。その曲が流れ終わるまでに、体操服に着替えて校庭に出なければいけません。
心の中でいつも、

「走らなあかんのに、なんでさんぽやねん!!」

と叫んでいました。←

とにかく寒い中、ブルマと半袖の体操服に着替え、外に出ます。
そして毎日、ひたすらに5分間校庭を走らなければいけないのです。

朝の持久走が終わって部屋に戻ると、今日校庭を何周走ったか...
ということを記録に残します。
そもそも、手が悴んで動かないのに、急いで服を着替え、クーピーを持って、京都の地図に見立てた記録表に自分が走行した数のマス目を塗りつぶしていくのです。

この朝の持久走といい、マス目を塗りつぶす行為といい。
ただ、ただ大嫌いでした。
もはやトラウマだと言えるくらい大嫌いな思い出です。

そして、体育の授業は"持久走大会"に向けて"持久走"になります。
年が明けると"持久走大会"があり、1時間ひたすらに桂川の河川敷を走ります。沿道には温かそうなコートを着た保護者たちがたくさんいます。

凍てつく寒さの中、1時間ひたすら走り続けるのです。

そして、教師になってから思ったのは、本当にここまで必要なのか?
ということ。

別に水泳の必要がないとか、持久走の必要がないとか、
そういうことではなく。

もっと緩やかな"楽しむ"というベースで体育があってもいいんじゃないか。
そんな風に思うのです。

私は未だに"さんぽ"という曲を聴くと、嫌な気分になります。
寒い中走り続けた6年間の嫌な思い出がすぐそばまでやってくるのです。
そこまで"何かを嫌いだ"と思わせるような教育活動がある意味は...
全体的にストイックにしなくても良いのでは。

私が勤務した高等学校では、基本的に体育の水泳と持久走は、欠席した場合必ずその授業の分を取り戻さなければいけませんでした。
要するに、補習があるということです。

しかもそうやって補習を受けなければ、単位認定がされない...という。
そこまでやる必要あるのかな..という感じ。
生理の生徒もいれば、体調が優れない生徒もいます。
「そういった身体の不調に甘えて何かを簡単に休むようになってはいけない」

多くの人がそんな風に言うのですが。
じゃあ、そういうことをしない国には甘える人間が本当に増えるんでしょうか?それが社会問題にでもなるんでしょうか?
それって本当なの?という疑問が払拭できないのです。

"スポーツ"という言葉の語源は"気晴らし"です。
体育は教育活動において、とても重要な役割を果たしていると思います。
しかし、それは"気晴らし"という意味で。です。

この季節になると思い出す、生徒たちの疲れた雰囲気。
そして、自分自身の嫌な思い出。

きっと今日もどこかの校庭で生徒たちが寒い中走っているんだろう。
そして、疲れた身体と心に耐えながら座学を受けるんだろう。
そんなことを思うと、体育の意味って...となるのでした。

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