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「やまゆり園事件」に見る排他的教育

皆さんは「やまゆり園事件」をご存知でしょうか。
神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設で起きた事件で、元職員だった植松聖が施設内にいた人々を次々と襲い、入所者19人を刺殺、入所者・職員26人に重軽症を負わせたという事件です。

この事件に関する本を読もうと思ったきっかけは、これまでnoteにも書いてきた「ユニセフの幸福度レポート」の結果にありました。
ランキングで見ればその順位だけが印象に残りますが、どのようなデータに基づいてその順位が算出されているのか...と考えるうちに、どんどん日本社会が抱える課題に目がいくようになりました。

「やまゆり園事件」 神奈川新聞取材班 著

この本を読み、自分なりに感じたことや、教育現場とその生徒たちのことを思い出しながら書いていきたいと思います。


事件の始まりは衆院議院への犯行予告から

私自身、この事件は事件をもって始まったものだと思っていたのですが、実はそうではなく、本人が直筆の手紙を衆院議院へと手渡しで届けたところから始まっていたということを知りました。

「障害者総勢470名を抹殺することができます」

衝撃的な文面から始まったその手紙は、最初は受け取り拒否されたものの、本人が土下座し、頑として受け取りを要求したため、手渡されることになりました。

目的は、
・世界経済の活性化
・第三次世界大戦を未然に防ぐため

理由は、
・車椅子に一生縛られている気の毒な障害者を死をもって開放するため
・保護者と絶縁状態の入所者を哀れんでいるため
・生気を失って働く職員の瞳に活力を取り戻すため

「重複障害者は世の中に不要な存在である」

そう結論付け、
・職員は傷付けずに犯行を行うこと
・2つの園を狙うこと
・その後は自首し、報酬として新しい人生を与えられることを要求する

といった内容を手紙に書き記していました。

その後、この手紙がきっかけとなり警察に保護され、緊急措置入院となるのですが、本人は早くそこから脱出するために礼儀正しく振る舞い、聞き分けの良いフリをして退院したと書かれています。

「障害者はいらないんじゃないか」と思った彼の小中学生時代

本を読み進めれば読み進めるほど、彼の人生の歯車がどこで狂ったのかがわからなくなりました。
もちろん人の人生が180度方向を変えるのに、決定的な出来事がある場合もあれば、そうでない場合もあると思います。
しかし、彼が人生を通して経験してきたことや感じてきたことは「誰にでも起こり得ること」だと感じました。

年間300名以上の生徒を教えてきた元学校教員としては、
「私が受け持った生徒にも、こんな風に感じる(た)生徒はいるだろう」
と思ったのです。

小学校低学年の時、彼が在籍していた小学校/中学校には知的障害のある生徒がいました。
その知的障害のある生徒を取り巻く環境の中で、

<小学校時代>・声を上げて走り回る知的障害のある生徒がいた
<中学校時代>
・知的障害のある生徒が他の生徒を殴り、前歯を折った
・怪我をした友達を可哀想に思い、加害者の生徒のお腹を一発殴った
・知的障害のある生徒の世話をする保護者がいつも大変そうだと感じた

という経験があった、と本人は話し、小学校時代には、
「戦争をするなら、障害者の背中に爆弾をつけると良い」
「そうすれば、戦争に行く人は減る」
「障害者の親にとっても良いアイデアだ」
というような作文を書いていたことが分かりました。

また、図工の時間には、大砲の弾を描いたことがあったそうです。

その内容の作文を書いた時、いつもはコメントをくれる教師が何も書いてくれなかった。と言い、
殺戮のための大砲を描いた時には、理由もなく描き直すよう言われた。
と話していると書かれていました。

彼に関わった教師たちだけを責めるつもりはありません。
ただ、当時、彼には彼の中にある蟠りに真正面から向き合ってくれる大人の存在がなかった。そんな風に感じました。
小学生/中学生の彼にとって、それは、保護者であり、教育者たちであり、それ以外の人々であるべきだったのかもしれません。
しかし、彼がそれらの大人から関心を寄せられることはほとんどなく、
「なんだ、何も言わないってことは、皆そう思っているんだ」
そんな風に、勝手に自己解釈を進めていったのではないか...そんな風に感じました。

事実、彼は後に、自分の理論(障害者を抹殺することが善だという考え)に対して反論をしなかった多くの人々のことを、
「何も言わない人たちは、本心だから何も言えないんだと思った」
と言っています。

こうやって、周囲の人々(特に大人)の無関心が肥しとなり、彼の中に生まれた小さな種は静かに、でも確実に育ってしまったのではないか。と思いました。

教師になることを自分から諦めた大学時代と職員としての採用

大学は教育学部へ進学し、サークルにも参加。
ただ、生活は徐々に乱れ、ドラックにも手を出していたとされています。

それでもサークルでは明るくて人気者。
学業不振の時期があったものの、教師を目指し教育実習にも参加。
実習中は生徒にも人気の実習生だったようで、きちんと実習期間を修めたと書かれていました。

ただ、教育実習を経て、
「子どもたちの成長に責任が伴う。勉学に励まなかった自分にその資格はない」
と、自主的に教師になることを諦めたそうです。

その後、大学を卒業後仕事を転々とし、幼なじみの勧めもあり、就職活動を通して事件があった施設の職員として採用されるに至ったとのことでした。

施設で見た現実と2年目からの異変

1年目は「仕事は楽しい」と周囲に話していたにも関わらず、2年目からは入所者の腕にいたずら書きをしたり、入所者のいない部屋で居眠りをするなど、終業時刻前の帰宅などもあったそうです。

それくらいから否定的な発言が増え始め、
「入所者は食事もひどく、人間として扱われていない」
「職員の目は死んでいる」
「暴力を振るう職員を見たことがある」

などと言うようになったことが分かりました。

入所者に暴力を振るう職員に対して、
「暴力は良くない」と言った時、
「2、3年後にも同じことが言えるか楽しみだな」
と言われたことがある、という風にも言っています。

入所者が入浴中に溺れたことがあり、それを助けた時も保護者からは何のお礼も言われなかったこと。

そういった職場での経験が重なる中で、
「ひょっとしたら、みんなここの入所者を疎ましく思っているのではないか」
と、思うようになっていったのではないか。と書かれています。

優生思想と能力主義の間で揺れる「自分」という存在の位置

「自分が優れた人物で、有意義な人生を送っていれば、楽しくて事件は思い浮かばなかった」

高度な生産性が求められる社会で、自分は「できない方」の人間だ。
彼こそ、その生き方に迷い、窮屈を感じ、自分よりも弱い人間の存在を認めることで自分の存在を何とか維持していた。
この本を読んだ人であれば、そのような気持ちを抱くのかもしれません。

もちろん彼がしたことは決して許されることではありません。
しかし、この事件の責任は本当に彼だけにあるのか。と問わずにはいられませんでした。

彼が犯行に及んだ時、殺すか殺さないかの区別ははっきりしていました。
「喋れるか、喋れないか」
これが、彼がその人の人生を殺めるかどうかを決めるポイントだったようです。

職員を連れ、入所者の前で聞く質問は一つ。
「こいつは喋れるのか」
その答えに応じて、人の命の重さやその意味を決めていく。

「喋れない、意思疎通が図れない人間は、誰かの負担になっているだけだ」
そう決めつけて命を奪っていく彼の中には、
「世のために正しいことをしている」
という意識しかなく、それは自首後どころか、死刑確定後にも変わることはありませんでした。

「みんな言うと気まずいから、口にしないだけだ。本当のことだから言いにくいんだろう。だから自分が声に出してそれを言い、行動に移してあげるんだ」

彼の中には決して揺らぐことのない「正義」があり、その正義は社会が抱える点数主義や能力主義、優生思想からきたものなのかもしれない。と思うのです。

「分けること」が人々の感度を下げている

「この事件の責任の一端が日本社会と日本の教育にあるとするなら」

それを口にした人の言葉を、
「それは何でも大袈裟でしょう」
と言う、大人や教育者たち。

日本では「特別支援学級」というクラスがあるところも多く、知的障害などの障害のある子どもたちは「分ける」という配慮を持って、それが便宜上「本人のため」とされてきています。

しかし、この本ではそういった「分ける教育」の日常化が子どもたちから感度を奪っているのではないか、と論じています。
「何かを感じる」という経験が意図的に奪われ、通常学級に属する子どもたちは、その中で優生思想や能力主義、点数主義の中での毎日を強いられることになる...そして、そういった雰囲気の中で必死に生きる子どもたちの中に「分けることは善だ」という思考がどんどん染み付いていく。

この本では、大人よりもバリアが薄い子どもの頃だからこそ、たくさんの子どもたちには障害者と過ごす時間が必要である。と書かれています。
世の中に様々な人が存在し、共に生きるにはどうすれば良いか...こういった感覚は自己選択ができるようになる前に、つまり大人になる前に育まれて欲しい素養である。というようにも書かれています。

また「生産性」や「有用性」という、「できるかできないか」で人の命を値踏みする社会の在り方を問い、自己責任が強化される社会と教育の在り方を問うているように思います。

犯人に見透かされる現代社会の在り方

私自身、この本を読むのにとても長い時間を要しました。
それは、この本が問いかける様々な疑問に何度も立ち止まり、考え、苦しみながら読み進めなければいけなかったからです。
この本を読み終えた後に残したノートは10ページにも渡り、私の中に多くの課題を残しました。

その課題と一つずつ向き合うことが、教育者として一人の大人としての役目だと感じています。

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さて、有罪判決を受け、死刑となった犯人はそれを受け入れました。

拘置所内では彼と話がしたいという人たちを次々と受け入れ、
彼は永遠と自らの持論を展開し続けました。
「どうぞ話をしにきてください」
と言わんばかりに、彼は多くの来訪者を受け入れたと言います。

しかし、そこに反省はなく「正義」しかなかったと話をした人々は言います。

「事件後、社会は"共生社会"に傾いたが、破綻する」

彼は拘置所の中でそう言ったそうです。
差別や偏見を悪だとしながらも、それを放置してしまう社会。
「分ける」ことで子どもたちの権利を守っているとし、社会全体の感度が下がることに気づかないフリをする社会。

是非、多くの人たちにこの本を読んで欲しいと思います。
そして、これからの社会の在り方を考えたいと思うのです。

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