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オランダの子どもたちが幸せな理由①<精神的幸福度の観点から>

ユニセフの子どもの幸福度調査において、オランダが3度連続で1位を獲得しました。
そのことについて、レポートを読み、自分がオランダで生活して感じていることについて書いていきたいと考えています。

「ユニセフのレポートとは何ぞや?」という方や、その内容について知りたい方は、是非前回の記事からお読みいただきたいと思います!


オランダと日本の結果は

<2回目>Edubleインスタライブpdf(12)

さて、オランダと日本の結果はこんな感じになりました。
主観的に言うと、オランダは全体的に上位層。
日本は身体的幸福度で1位を獲得したため、総合順位を上げている。という印象を受けます。

<精神的幸福度>という観点

上の写真の通り、オランダは精神的幸福度において1位を獲得しました。
その一方で、日本はその順位を大きく下げているのがわかります(37位/38ヵ国中)。

ここで、前回のおさらいとして<精神的幸福度>とは何かをみてみましょう。

◉精神的幸福度
・生活満足度(15歳の子ども対象。生活の満足度を0-10とし、そのうち6以上を選択した子どもの割合)
・15歳〜19歳の自殺率

ここからわかるのは、15歳の子どもたちに対して「あなたは生活に満足していますか?」という問いを行った結果、0-10のうち6ポイント以上を選択した子どもたちの割合が多いのがオランダ、少ないのが日本ということ...でしょうか。

日本に関して言えば、感覚的に「半分以上ではない!」と感じている。
そんな15歳の子どもが多いということがわかります。

それではここから、
「オランダの子どもたちの精神的幸福度が高い理由はここにあるのかな?」と私自身が勝手に分析していることについて書いていきます。

学歴への意識の差

私たち夫婦自身は日本の様々なレイヤーの高等学校で働いてきました。そこでは、高校生やその保護者を取り巻く「勉強」や「受験」、そして「学歴」への強いこだわりを感じずにはいられませんでした。

日本社会の「学歴」に対する意識の流れがどうこう...というよりは、高校生自身が学歴に対してどのような意識を持っているのか。という点において、現場で感じてきたことはたくさんあります。

「大学に行かなければ仕事がない」
「何が学びたいかはわからないけど、とりあえず高卒では不十分らしい」
「大学や専門学校は人生の夏休みとも言える」

生徒たちが抱く「学歴」への意識は、概ね家庭が「学歴」をどう捉えているかと同じ。と言っても過言ではありません。もしくは、家庭が抱く「学歴」に反発するかたちの進路選択をする生徒もいたように思います。

学校現場では生徒一人ひとりの考えと、その保護者の考え、そして私たち教育者としての考えを通じて、子どもたちが自分の進路を決定していきます。
実際のところ、放課後に1人に対して2〜3時間話をしただけでは解決されないような悩みを多くの学生が抱いていました。

...いずれにせよ、多くの学生が受験や学歴に対してプレッシャーを感じていることに間違いはないように思います。
それは「学歴」に対する恐怖心でもあり、学歴社会からの「脅し」とも言えます。

一方で、オランダは約25%程度の学生が大学へ進学する。という風に言われています。実際のところ、この数字はやや増加傾向にあるそうなのですが、それでも「みんなで大学進学!」という雰囲気ではありません。

大学進学する学生を除いた75%の人たちが大多数を占めるオランダの社会では「大学進学する奴が努力家で賢くて偉い!」というような雰囲気はほとんどなく、どちらかと言うと社会全体が「そういう能力があったので、進学先がそこになったのですね」という感じでもある。と聞きます。

そして、その「能力があった」という事実に対して、妬みや羨ましさを感じにくい教育構造があるのもオランダの特徴と言えるかもしれません。

個を大切にする教育

「あの子、一生懸命勉強してる...良い大学に行きたいらしい」

そんな風にして自分と他人の「努力の差」を感じ取り、あたかもそれが「自分の怠け」であるかのように捉える癖がついている....そんな高校生は日本にたくさんいます。
また、

「◯◯ちゃん、今月から塾に通うらしいよ。あなたはどうなの?」

と、受験に対して努力を重ねる人を「善」とし、「で、あなたのポジションは?」と子どもに尋ねる保護者もたくさん見てきました。
「まさか今の現状で満足してないよね?」という暗に意味する感じです。

こういった雰囲気は、何も「大学受験」に限ったことではなく、小学校の中学年程度になると「数字」や「評価」として他人との差を否応無しに感じさせられるようになります。
「楽しいことだけやってちゃダメなんだよ」から始まり、
「楽しいことも、苦手なことも一生懸命やらないとダメだよ」になり、
「出来るようになった?いやいや、もっと上を目指さなくちゃ」と、
常に「上には上がいる」ということを語られる子どもたちは少なくないように思います。

もちろん「もっと上へ」という家庭教育と学校教育の中で培われる力、つまり、努力や鍛錬が身を結んだ際に「やっていて良かった」となることも多く、コツコツ丁寧に、まだまだ未熟!と、努力を積み重ねられるところが日本人の強みとも言えます。
しかし、そもそも「とりあえず努力」「コツコツがいつか身を結ぶ」という漠然とした意識から相当な努力が重ねられる国民性も珍しいのではないでしょうか。

そして、子どもたちにとってみれば、一体どこまで、いつまで努力すれば良いのか...と不安に感じている子どもたちも多いかもしれません。
(実際、日本では死ぬまでこれが続くような気がします)

その点、オランダでは「個」が大切にされているというイメージがあり、「個」は他人との比較を好みません。
他人と比較して自分の位置を決めるのではなく、自分で自分の位置を決めるというのがオランダの教育ではないか。と思うことがあります。

「あなたはどうしたいの?」
「あなたはどんな風に感じたの?」
「あなたの意見を聞かせて」

オランダの学校の先生と話をした時、
「自分が感じていることや意見を、自分の言葉でその通りに伝える能力はとても大切です」
と言われたことがありました。

「私は、私としてこう思う」
その思考を支えるためには、それが許される社会の環境が必要になると思うのです。

自分で考え、権利と責任が伴い、自立へ向かう

話は少し変わりますが、オランダでは自分が選択した町医者に登録をし、基本的にはそこに通う制度になっています。
そういった町医者を"GP(General Practice)と呼ぶのですが、そこでなされる医療行為について書きたいと思います。

ちなみに、オランダでは健康保険も民営化されているのですが、基本的に18歳になるとその保険は保護者から切り離される。とされています。
これは絶対ではありませんが「18歳おめでとう!自立だね!」という意味も込めて、保険が保護者から切り離されるのだそうです。

話を戻すと、0-18歳の子どもへの医療行為は年齢別に3つのレイヤーに分けられている、と知りました。(厳密に法律化されている訳ではなさそうです)
ちなみに、そのレイヤーは

・0歳〜12歳
・12歳〜16歳
・16歳〜18歳

となっています。
そして、この3つのレイヤーに共通しているのは、
「本人(子ども)への説明責任を果たさなければいけない」ということ。
また、触診の場合「触りますね」という一言と、それに対する同意は必要不可欠である、ということでした。

0歳〜12歳は、子ども自身が医療行為にたいしての判断がつきにくいこともあるため、基本的にあらゆる権限は保護者にあると書かれていました。
ただ、前述した通り、これからどのような医療行為がなされるのか、ということについて、どんな小さな子どもであったとしても説明をすることが保護者と医療従事者の義務である。と書かれています。

12歳〜16歳は、文言こそありませんでしたが、権利の割合は50:50といったところでしょうか。説明はもちろんですが、本人の意向も考慮しなければいけない。と書かれています。また、保護者と子ども両方の合意がなければ医療行為は行われないそうです。さらに、この年齢になると予期せぬ妊娠も起こり得ます。モーニングピルを処方されたり、そういったやりとりが医療従事者とあったとしても、その情報は本人の許可なしに保護者に公開はされません。

16歳以上の権利はほとんどの場合、成人と同じです。「自分のことは自分で決められる年齢」とされるため、保護者の同意等は必要とされません。自分で判断し、自分で決める。それが出来る年齢とされ、医療に関するデータのコピーも持ち帰ることが許されています。もちろんのこと、医療データへのアクセス権は本人にあるため、保護者は本人の許可なくそのデータを見ることは出来ない。とされています。

教育と社会システムに促され、子どもは自立していく

「自立」は一言で伝えるのは難しい言葉です。
しかし、社会の大人たちに「君は一人で立てるよ」と励まされ、例えそれがまだ出来ない状態であったとしても温かく見守ってもらえる環境で生きる。ということではないか、と私は思っています。
そういった環境の中で、人は少しずつ....時に半歩、一歩下がりながらも、自立へと向かっていくのではないでしょうか。

自立に向かう途中、もちろん転びそうになれば、周囲の大人が手を貸してくれる訳で、その時に
「だから言ったじゃないか」とか、
「君にはまだ早いんだよ」とか、
自分自身の未熟さを外から自覚させられるような環境がなければ、子どもは「自分にも出来る」と自分を信じて生きられるのではないか。と思います。

小さい頃から学校で「あなたはどうしたいの?」と聞かれ続ける子どもたちも、最初は「わからない」からのスタートかもしれません。
しかし、学校の中で他の子どもたちの様子を見て「そうか、そんな風に言えば良いのか」と学び、今度は自分の時にそれを言ってみる。
そして、それが認められる雰囲気を感じることができれば、「次もこうやって言ってみよう。自分の表現は自由なんだ」と、感じることが出来るのかもしれません。

そして、医療に子どもたちの権利が認められていることを鑑みると、社会や教育はその「自分で判断できる人間」に向かって、子どもたちを育てていかなければいけないのかもしれません。
そこに指標があるからこそ、そこへの道筋が見えてくる。
その道筋を辿ろうとしているのが、オランダの教育のようにも思えます。

オランダの子どもたちは精神的に幸福か

数値でこそ見れば、1位という輝かしい成績を残したオランダですが、もちろんそこに課題はたくさんあるのではないか、と思います。

「オランダ最高!子どもたち幸せ!」とは言えないにせよ、オランダの子どもたちは教育と社会システムの中で「のびのび」させてもらっていることは確かだと思います。

そして、その「のびのび」に少しずつ自立のエッセンスを入れていく。
自分らしく生き、自分に決定権が認められ、個として認められる...

それを「幸福な状態」と呼ぶのであれば、きっと自由の中で責任や権利を学ぶ子どもたちの精神的な幸福度は高い。と言えるのかもしれません。

今回の内容はインスタグラム(IGTV)でも

さて、今回の内容について、夫の義則とインスタライブでも話をさせていただきました。
リアルタイムで参加し、質問をいただくこともあるのですが、幸運にもIGTVを通して多くの方々に観ていただくことができ、嬉しく思っています。

お時間があれば是非ラジオ代わりにでもご視聴ください*

instagram: educle_nld

https://www.instagram.com/eduble_nld/

それでは次回は<身体的幸福度>について書きたいと思います。



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