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日本で「難民」として暮らすということ。(2)制度への疑問とクルドの人々の暮らし

大学3年次に執筆した、日本で暮らすクルド人に関するレポートの後編。
まず日本の難民認定制度から始めて、多くのクルド人の方々が暮らす川口市についての調査から、彼らの生活のために何が必要か、考えたことを書いています。

3. 日本の難民認定制度

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(出典:UNHCR駐日事務所ウェブサイト)

ここまでトルコ国内の事情を見てきたが、以降は日本におけるクルド人の状況を見ていく。そのためにまず、日本の難民認定制度について述べ、在日クルド人が置かれる不安定な地位について理解したい。

クルド人が日本にやってくるのは、ビザ無しで観光目的としての3か月までの短期滞在が可能なことが大きな要因である 。*6 入国後、難民申請を行ったクルド人は、以下の5つの状態のいずれかで日本に在留している。

まず、「仮滞在」では難民申請後に申請の結果が出るまで、強制送還等の措置を取らない規定があり、3か月ごとに更新する。2つ目に「特定活動」の在留資格では、短期滞在の資格で入国後、期限内に難民申請を行うと申請から6か月後に発行され、6か月間の就労を許可される。3つ目に難民申請が不認定となった場合で発行の可能性がある「人道的配慮による在留特別許可」の在留資格は、子供や家族、健康上の理由、日本人との結婚*7  といった事情を考慮し特別に在留を許可するもので、定住又は特定活動(1年/3年)の資格が付与される。またこの資格は、申請が不認定となった判断に対する行政訴訟を起こし勝訴した場合にも発行されうる。4つ目に「仮放免」*8 は、難民申請が不認定となった場合等で退去命令が出て収容施設に収容されている際に、申請を行い受理されることで1~3か月間の仮放免となり、その継続申請を続けている状態である。5つ目にその他正規の在留資格である。代表的なものは「日本人の配偶者等」であり、日本人と同等の権利を持って安定的に定住できる。

日本では、2017年に19,628人の難民申請者がいた。そのうち難民認定が20人、人道的配慮による在留特別許可が45人で、難民認定率は約0.1%と世界で最も低い部類に入る。トルコ国籍では同年1195人が難民申請したが、過去に1人も認定されていない。また、2017年にトルコ国籍で日本における在留資格*9  を持つ者は5502人おり、うち2440人が「特定活動」のうち「その他」に区分され、難民申請後6か月後の就労が認められた者はこの中に含まれると考えられる*10 。以上のような状況から、日本に入ったトルコ人は難民申請ののち「特定活動」の取得を目指すことがもっとも資格を得る可能性が高い方針であることがわかる。
このように、クルド人は日本の難民認定制度の中では難民と認められず、人道的観点から在留資格が認められている者にも「人道的配慮」という言葉で難民性の認定を避け、与えるべき権利を制限している可能性は十分にある。日本では難民申請の処理を、入国管理を行う入国管理局が統括することで、国境管理・ゲートキーピングの機能が優先されることで、難民問題が人権問題であることが覆い隠される現状がある。特にトルコ国籍の難民認定をしない理由は、トルコ政府との友好関係・PKK鎮圧というトルコのテロ対策への協力等があると考えられており、政治・外交の介入があることも推察される。

在留資格によって、生活状況は大きく左右されている。正規の在留資格がなければ、受けられる行政支援は非常に少なく、生活に制限も多い。例えば、就労・国民健康保険への加入ができないため、不法就労となる場合や医療費全額負担となる場合があり、経済的に不安定につながる。あるいは出生届が出せないために、日本で生まれた子どもが無国籍状態になることがあるほか、仮放免では、県外への移動に許可が必要となる。
また、在留資格を持つ場合も入管管理局に規定された期間ごとに出頭を行い、仮滞在・仮放免・特定活動等の在留資格の延長を申請する。在留が認められない場合は即収容となり、不法滞在者が強制送還まで過ごす東日本入国管理センター(茨城県牛久市)に無期限で収容される。収容は数年に及ぶ場合もあり、精神的・身体的負担の大きい生活を強いられる。


4. 川口市におけるクルド人の定住


 本章では川口市にクルド人が集住し、定住する過程について考察したい。日本では法的地位が不安定であるにも関わらずクルド人の人口は近年増え続けており、川口市への集中も高まっている。日本に暮らす約2000人のクルド人のうち、6割強となる1600人あまりが川口市周辺に住んでいる。東京や大阪などの大都市に小規模なコミュニティがあったり、定住歴が長い人々は独立して他県で暮らしている人もいる*11 が、川口市への集住は群を抜いている。2010年には600人ほどであったため、ここ数年で数が急増している。背景には、当初男性1人で日本に移った人々が、女性や子どもを含む家族を複数人呼び寄せていることや、時期的には中東の情勢悪化と重なることからこの影響が考えられる。

川口市にクルド人が住み始めたのは1993年頃とされている。最初に住み始めた人々は既に全員日本には既におらず、ジャーナリストたちがこれまで調査を行っているが、現状では最初に川口市を選んで居住した真の理由は不明のままである。ただし、川口市は東京都の墨田区・大田区と並ぶ代表的な中小企業集積地であり、鋳物産業から始まり、機械工業が発達した歴史を持つ地域であった。現在でも製造業の事業者は多く、そこで働く外国人労働者が多くいたことが、クルド人を受け入れる素地となったと考えられている*12 。
このように川口市に「定住化」することを促進する要素は何であるか。彼らの暮らしぶりを見ながら、定住を促進する要素について考察する。先行研究は今回調べた限りでは日本での定住プロセスにおける難民の課題を要素ごと(日本語・住居など)に挙げていくものであり、定住を促進する要素を指摘しているものはほとんどなく、荻野(2012)*13 の「重要な他者」との相互関係の深化が唯一見つけられた体系的な説明であった。そのことから、先行研究で指摘される「課題」や川口市のクルド人・支援者へ実施したインタビュー及び新聞記者による取材記事といった質的データを参考にしながら、考えられる要素を要支援段階と定住段階に分けて8つ挙げる。なお、ここでの「定住化」とは荻野(2012)の定義を踏襲して「日本での生活基盤が確保され、彼らの環境と交互作用をしながら、永続的に日々の生活をおくること」であるとする。

4-1. 要支援段階

難民は通常の移民とは違う側面を持つ。例えば日本に合法的に滞在できている日系ブラジル人のような人々と比較すると、難民は定住の準備をすることができず、移動の際に合法的な手段を用いることができない可能性があり、入国できるかは確実ではなく、到着後すぐの生活基盤は整っておらず、帰国してからの安全や安定は保証されない。クルド難民はパスポートがあれば一旦入国ができ、通信の発達した現在に親族や知人を頼ってくる場合に全く生活基盤がないわけではない場合もある。しかし実際に、軍や政府から圧力を受けた難民は、偽造パスポートで来日するような場合もあり、入国における不確実性がある。更に、「日本は難民条約に加盟しているから、難民に人道的対応をとるだろうと考えていた」といった発言も当事者から見られ、十分な情報収集や準備をしたうえで移住しているとは言えない状況が見て取れる。このような難民の移住初期の段階は、定住に向けて支援を必要とする「要支援段階」とみなすことができる。

要支援段階には3つの要素が必要だと考察する。
第一に、経済的支援である。これは日本におけるクルド人難民の場合は、親族や知人が行う。クルド人はもともと親族同士で支え合う文化があり、お金を貸し借りすることに対しても抵抗が少ないと言われている。生活を始めるうえでトルコに比べ物価の高い日本での初期費用は高くつき、「特定活動」の資格が付与されるまで合法的に就労できない以上、経済的支援の必要性は高い。
第二に住居支援である。これは親族や知人が行うとともに、外国人が住むことに寛容な大家の存在が必要である。制度上は難民認定支援者シェルターの利用が認められるが、室数が不足しているため利用できる人はほとんどいない。また、公共住宅は一般的には定住権を持つ人以外の入居が難しいことから、民間のアパートに暮らす難民が多い。また、クルド人は大家族で暮らし声が大きいことから、同じアパートに暮らす日本人から騒音のクレームがあることも珍しくないため、だんだんとクルド人が同じアパートに集まってくる。
第三に最低限の言語支援である。これはボランティアや親族知人が行うものである。就職や就学を通して日本人集団に参加したり、最低限の日常生活を送ったりするためには、ある程度日本語での交流が必要となる。父親は職場に入る際、子どもは学校に入学して日本語の壁に早期に直面する。この段階では母親はクルド人の文化に従ってほぼ家の中で生活するため言語の困難はそれほど感じない環境が生まれる。継続的には後述する「日本語教室」などを使って日本語を身に付けることが重要となるが、ここで述べている移住初期には親族知人の知識などを使ってとりあえずの社会参加を果たすものと思われる。

このように、定住を目指す段階でかつてのインドシナ難民のような行政支援*14  が見込めないクルド人の場合は、まずは同じクルド人コミュニティの支援が最も重要となる。さらに、クルド人はクルド人全体の自助組織というよりむしろ、血縁のある人々やそこから派生する知人を頼りにしていることが特徴である。

4-2. 定住段階

地域社会での定住生活を始めたのちには、その地域社会でいかに安定した生活を継続できるかということが焦点となる。その観点から、5つの定住促進要因があると考える。

第一に安定的な在留資格の獲得である。クルド人の生活が不安定であり続ける要因は、仮放免の状態であったり、特定活動のビザが継続し続ける確信がないということから、身分が安定しないことが非常に大きい。収容施設に収容されると期間は数か月から1年に及び、男性働き手が家に父親1人の場合は収入が途絶えることもある。逆に安定的な在留資格が得られた場合、クルド人の中にも日本で起業して会社や飲食店を経営している人もいる。このように、安定的な身分の有無が定住の可能性を左右すると言っても過言ではない。ただし、不安定な身分のままで生活をなんとか維持している過程が多くいる現状を見ると、これは定住のための必要条件とはなっておらず、その他の条件で補われる側面も見られる。

2点目に経済的自立である。家庭の男性が就労することで経済的自立は獲得される。クルド人男性は、製造業・建設業・レストランなどで、既にクルド人や外国人が就労している場所につてを頼って就職している。建設業では、日本にクルド人が経営する建設会社が約20社あると証言されており*15 、このような企業も就業場所の確保に貢献している。経済的自立は長期的な定住を考えると不可欠であることから、当事者へのインタビューによると、仮放免などの不安定な身分の人でさえも知人のつてなどで不法就労している現状がある。また、家庭の経済状況が苦しいために、子どもが学校をやめて働くこともあるようだ。

3点目に教育である。これは言語教育という面と、子どもの全体的な学校教育という面がある。言語教育の観点では、子どもに対して小学校で独自に「日本語教室」を行い学校教育について行けるような訓練が行われたり、日本語が必要不可欠とはいえない環境にある女性が、家庭での子どもとのコミュニケーション等の動機からボランティアが運営する地域のクルド人向けの日本語教室に通ったりすることで行われている*16 。また学校教育という面については、日本で育った1.5世や2世の子どもが増加する中で、子どもが高等教育を目指すことで経済的自立や地位上昇を目指すようになっている。しかしクルド人の親はトルコで小学校に通っただけの場合もあり教育の重要性を理解していないことも多い。また授業について行くことは容易でなく、義務教育を受けたあと高等学校に進学しない子どもも多く、大学に進学する子どもは1人出たのみという現状がある。このように、教育は定住を考えるうえでより重要性が高まる要件であり、今後その必要性が更に問われる必要がある。

4点目にホスト社会との関係構築である。これは特に女性に対して能動的な行動が見られる現象である。在住歴の長いクルド人と日本人によって運営されているクルド人支援組織である「日本クルド文化協会」は、先述の日本語教室を当初運営していた他、クルド料理の教室やクルドの手芸教室を開催している。このうち、料理教室はクルド人女子自身から申し出て始まったもので、難民に興味のある学生や料理に関心のある地域の人などが参加しているという。また、商店街でのキッチンカーの出店なども行われている。こうした文化を通した地域社会への関係づくりが進むことは、暮らしの責任を負う女性の生活を向上させたり、日本人のクルド人への理解を深めることで、定住を安定化することが期待される*17 。

5点目にホスト社会への貢献・義務遂行である。現在見られる「貢献」についての言説では、例えばクルド人の若者が日本人ボランティアと一緒にゴミ拾いをする習慣が生まれていることや、高等教育を受けることを目指す子どもたちが「日本に貢献したい」ということを動機に語るといった例が挙げられる。こうした貢献は、地域や日本に住み続けたいという当事者の動機があってこそ生まれる行為であり、それが社会的に認められることが定住を促す要素になる。一方義務の遂行は地域や行政が求めるものであり、生活のマナーを守ることや納税といった一般的な日本人がこなしている義務を果たすことで、地域との壁を低くし支援される側・警戒心を向けられる側という立場から、対等な人間関係を構築することにつながるだろう。

 以上のように地域社会での定住を始めると、父親・母親・子どもによって異なる場において、日本社会と関わりながら安定した立場を獲得することが必要となり、その努力がなされる。なお、クルド人の川口市への「定住」には、仮放免で県外移動に制限があるといった場合や、送還されても変える場所がない、出身国との社会的格差が大きいほどホスト国での生活を継続しようとする*18 といった消極的な要因の効果が大きいのも確かである。しかし、そのような自らの力で動かしがたい現状を変えるために、クルド人がこれまで述べてきた8つの要素を獲得することで、日本での生活を成立されていることは示せたのではないだろうか。


5. おわりに


 以上、クルド人が日本で定住する過程と、そこにある生活を築くための要素について見てきた。クルド人はトルコ国内で政治的・民族的な迫害を受けて「難民性」を備えて日本にやってくる。日本の難民認定のプロセスでは、難民申請が通らない現状、クルド人が安定した在留資格を獲得するには長い時間と大きな苦労が必要となる。そのような不安定な状況の中でも、当初は親族知人の強い協力を得て、さらに地域での生活が始まると親族知人の枠協力・ボランティアの協力に加えて、それぞれの所属する社会集団の中で地位を築くための努力を行って、生活を成立されていることがわかった。
 今後は、クルド人がなぜ日本の中でも川口を定住先に選んだかという観点から、川口市の外国人居住に関わる歴史的文化的背景を探ることや、他国の難民受け入れ制度と比較した定住過程の考察を行うことで、論理的に定住促進要因を考察することが必要となる。

注釈


*6 そのほか、トルコ国内で一体的な親日感情があること、それに対してヨーロッパ諸国はクルド人が現在のような国をまたがった居住に追いやられた原因とみなす考え方もあると考察されている。(山田寛ほか「日本の難民受け入れ過去・現在・未来」東京財団. 70-71頁.)
*7 結婚のみでは「日本人の配偶者等」の在留資格は認められず、子どもの人数や障がいがあること、健康状態等まで加味して資格付与がなされる。
*8 全国に約2500人いると言われる。在留カード(2012年・外国人登録証明書から変更)が発行されないため、身分を証明する術がない。
*9 2017年末で34種類ある。特定活動は1種類とみなすが、その中に区分が詳細にわかれており、難民申請の結果発行されるものは「その他」に分類される。トルコ国籍で特定活動の次に多いのが、永住者980人、日本人の配偶者等596人。
*10 法務省(2017)「在留外国人統計(2017年12月)」
*11 1993年日本に来たクルド人で千葉県に暮らしている人のインタビューがある。(毎日新聞. 同上.)
*12 トルコ系のクルド人より先に、イラン系のクルド人がこの地域に居住しており、それを頼りにトルコ系クルド人が集住したという説もあり、背景は確定できない。(毎日新聞「異教の隣人 在日クルド人編」2017.01.24. 地方版/大阪.)
*13 荻野剛史(2012)「「ベトナム難民」の「定住化」プロセス―「ベトナム難民」と「重要な他者」とのかかわりに焦点化して―」. 50頁.
*14 インドシナ難民受け入れの際、日本は人数制限を設けて受け入れを認め、受け入れ施設の設置や日本語支援を行政が行っていた。(山田寛ほか.同上.19-22頁)
*15 鴇沢哲雄(2017)「故郷遥か:川口のクルド人」『毎日新聞』2017年6月28日付地方版/埼玉.
*16 日本語教室を運営しているボランティアは、小学校での日本語教育の効果の薄さを指摘している。ボランティアは母親への日本語指導のほか、子どもたちの宿題の面倒も見ており、自由研究を全面的に支援するなど日本的教育における母親の役割を担っていると言える。
*17 支援者・行政職員のインタビューでは、イベントなどを通してクルド人が地域社会での関係を良好にしているという面と、ゴミ捨てや騒音といったトラブルで日本人との関係は良くないといったマイナスの面の双方がうかがわれた。
*18 吉富志津代(2012)「多文化共生社会と外国人コミュニティの力―ゲットー化しない自助組織は存在するのか?」現代人分社. 81頁.





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