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家族の健康と自分だけの健康 〜同じ船の乗組員は大丈夫?〜というお話

家族として歩むメンバーは、例えば我が家は3人家族だけれど、「3人の身体の健康と内面の健康」を3人分足して、3人でそれを割って、やりくりしていく。

つまり、「自分」という単体の身体キャパシティと心のキャパシティだけを知って行動していてはだめで、他のメンバーの「身体キャパシティ、心のキャパシティ」を探りながら行動しなくてはうまくいかない。

身体の健康がないと、やりたいと思うことがあっても行動に移せない。  

その前提で、例えば自分自身が健康体をキープできていたとしても、息子が発熱したり、たとえば夫が具合が悪くなれば、自分の健康体を分けてあげる必要が生まれる。アンパンマンが自分の一部を捧げるように。

健康な人が、そうで無い家族メンバーの分、動いてあげなくてはいけない。

あまりにも当たり過ぎる内容だけど、実際に誰かが体を損ねてからしか、気がつくことの無い事実でもあるだと思う。またはその手前で、夫婦(パートナー同士)の喧嘩が多くなり家の中でリラックスを得られなくなるなどの現象も出てくる。

この話は、つまり「自分自身だけで決められず、家族という団体で動きを予測しなくてはいけない」ということで、それは、一人でいる時よりも面倒が多くてネガティブな印象になるかもしれない。でも、ネガティブな事実だけではなくてポジティブな面もとても多い。

たとえば自分だけでは興味を持てないエリアまで経験の幅を広げられたり、自分だけでは体験できない事が「衣食住芸」の四つを介して毎日やってくる。(*私は現代においての満ち足りた生活とは、衣食住のみでなく衣食住+芸だと思っている。芸は芸術、芸能、の芸で、音楽や読書、アートや写真、好きな時計や車コレクション、そしてスポーツなど、なくても生きてはいける趣味の分野のことを指す。)

何が言いたいかというと、
「自分の身体キャパシティー」だけを考えて行動していたらだめで、意識をかたむけて家族の他のメンバーの得意不得意を観察しながら、全員の体力の容量を確認しながら進もうということ。
(まるで携帯の残りの充電量を確認するかのように)

家族のそれに合わせて歩んでいこうと意識することで、余計な病気や不具合を、未然に防ぐことが出来ると思うのだ。

家族から発せられているサインはきっとあるはず。
サインを見逃さずにキャッチしていける感受性を大切にしていかなくてはなんだな。

今回は「家族」という主語にしたけど、おそらく「チーム」「会社」というふうにも置き換えできることなのだと思う。

今日は、同じ船の乗組員を知らず知らずに無理させてはいませんか?


というトピックでした。

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