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不安は自分がつくりだす(1)

こんにちは。不安定な世界情勢が続きますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

連日のようにメディアでは経済や政治の深刻な問題が取り上げられ、戦争や地震の可能性などが囁かれる中、先が見えない不安に苛(さいな)まれている人は多いのではないかと思います。情報過多の社会にすむ私達は、何がどうなっているのか知ろうとして、毎日テレビやネット情報に走ってしまうことも多々あるのですが、流れてくる一つ一つのニュースに反応して、そのムードで一日を過ごしてしまうこともしばしばではないでしょうか。

こういう時は、とかく防御体制に陥りがちです。

 。。。だから不安だわ。。。しないようにしよう。

。。。で、怖いわ。。。に気をつけなきゃ。 

といった思考が頭の中を巡り、息は浅く、体が固まって、知らずのうちに鎧をつけ、仮面をかぶって、周りに壁を張り巡らしている自分に気づきます。できることなら、この不安や怖れを取り除き、平和な生活に戻って幸せに暮らしたい。この状況さえなくなれば安心できるのに! 

って思いますよね。

確かに外的環境には様々な不安を呼び起こすような要素があります。でも実は、不安という感情は自分が作り出しています。私達は選んでいるんです、「不安の中にいる」ことを。

少しそれますが、ここで不安が起こる時の内面の流れをみてみましょう。
例えば、

例1)会議でこんなこと言ったら、皆にどう思われるか不安だ。→反対されるかもしれないから、黙っておこう。黙っておかないと、私の信用が失われる。

 どう思われるか不安黙っておく(行動)でないと信用が失われる。(恐れ)

例2)彼が最近冷たい様子。もしかしたら捨てられてしまいそうで怖い。彼に嫌われることをしないように気をつけなきゃ。。でないと又一人になってしまう。

捨てられてしまいそうで不安嫌われそうなことを避ける(行動)でないと又一人になってしまう(恐れ)

この二つの例に見られるのは、全く同じサイクルです。信用が失われることが(例1)、または、一人になってしまうことが(例2)不安の原因になって、次の行動を決める、怖れが行動を正当化するのです。

長年、自分の中には、「信用が失われる」、「一人になってしまう」ようなセルフイメージが根付いていて、その恐れが投影されて、現状を不安だと捉える。

恐れから来る不安を打ち消そうとして、または恐れによって正当化された行動をとることで、一時的には安心するかもしれないですが、不安の根源にある怖れは、消えません。同じサイクルを回り続け、遂には「不安」の中にいることが逆に安心なように思えてきて、「不安を感じる」ことを求めるようになります。

「不安を求める?おかしいよ、そんなの。」という声が聞こえてきそうですが、私はそんな人を実際に何人も見てきました。不安に浸ることを生きている実感だと勘違いしている人。不安になるのが嫌だけれども、どうしてもそこへ思考が行ってしまう人。不安がないと自分だと感じられない人。不安がクセになっている人。たくさんいらっしゃいます。不安の感覚、体が記憶しているところに何度も何度も行くうちに、なぜか不安が居心地よくなり、何度も何度も戻る。ニューロンとニューロンの間の線が何重にもなぞられて、脳は、自動的に「了解、ここですね。」とそこの回路をすっと開けるのです。脳はエネルギーをできるだけセーブするのが役割なので、新しいパターンや選択は何回も繰り返さなければ根付きません。だから不安なのが嫌でも、慣れたところの心地よさを選び続けてしまうんです。

不安なのは人だけじゃありません。社会をぐるりと見渡してみれば、ニュースは不安いっぱいです。メディアが不安を煽っているとも言えるのですが、需要がなければ供給は成り立たないので、それだけ不安を求める人がたくさんいるともいえます。「不安」を選ばない人がほとんどならば、うつ病や不眠症などは、少ないはずですが、日本では大人も子供もうつ病の人口が年々増えていますし、子供の不安性障害や、注意欠如、多動性障害も年々多くなってきています。アメリカでは、全人口の約18%が、うつ病や、パニック障害、強迫性障害などで病んでいます。

不安の根源が怖れだとしたら、怖れはどこからくるのでしょう?そのメカニズムについては先日の記事に書きましたが、どこから怖れが発生したのかといえば、それは、自分が生まれる前、ひいてはその前ということになり、一番初めはどこかといえば、もうそこは憶測でしか語れないのですが、これはまた別の機会に。




 

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