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なぜ僕がこうなったのかについての2、3の理由(29)

  朝の光が部屋をつつむころ、ベッドに入ることにしている。こめかみから頭全体へ、安堵感と眠気がしみわたるのをいつも味わうのだが、今日はそれはやめにした。ローテーブルのグラスを台所へ片付け、シャワーを浴び、ジーンズをはいて外に出る。東京でこんな時間に外気を吸うのも、悪くない。いくら人の多い東京でも、この時間のこんな住宅街には影がまばらで、気分がいい。ここ数日でまた秋が深まったみたいだ。街道に沿って植えられているイチョウの葉が落ちてしまっているし、肌に感じる空気の温度は、もはや初秋のものではない。
 

  吹いてくる風に肌寒さを感じながら、自宅から一番近い郵便ポストに2通の封書を投函した。1通は大学気付矢萩講師あて、課題の入った厚い封筒。もう1通は大学総務課あての薄いもの。
 それから5分ほど歩いた商店街の入り口あたりに、24時間営業のレンタカー店がある。店の扉を押すと、うつむいて雑誌を読んでいた係員が、冷水を突然ぶっかけられたような驚いた顔をしてこちらを見た。あいている車種がSクラスしかありません、と言われて外の駐車場を見ると、普通のセダンより一回り小さい車が一台だけ停めてある。あれでいいです、と免許証を提示して料金を払い、ばかでかいホルダーがぶら下がるキーを入れ、エンジンをかける。道はもうすぐ混み始めようとする時間帯かもしれない。道路情報をと思い、カーラジオをつけてみた。ちょうど、てきぱきとした仕切りの女性DJがかけた曲で僕は目覚めた。「サン・トワ・マミー」とかいう曲が流れてくる。夜明けにふさわしいメロディなのかどうかわからないが、僕はともあれ気に入った。朝焼けを見ながら走るのにぴったりだと思えたからだ。

 

40分ほど走っただろうか、幹線道路を1回ずつ右左折し、間口の狭いアパートやビルが密集する住宅街を抜ける。その先の駅前ロータリーに車を停めた。ここからは徒歩で行くことにする。パチンコ屋裏の道を使って近道し、この時間には浮浪者しかいない公園の前をとおり、小じんまりした建物の3階をめざす。
 ドアのチャイムを3回ほど押すと、BBが眠たそうにタオルで顔を覆いながら出てきた。豹柄フード付きのフリースをかぶって、どうしたの、とまぶたを重たそうに持ち上げながら言う。僕はスリッパを履かずに、大股歩きで玄関マットをまたぎ、BBのベットの上で大の字になって寝ころんだ。BBは冷蔵庫から何か出してひとりで飲み、なぜ電話に出ないのかと問い詰めてくる。ギャル文字をかまされるより直接しゃべるとこんなに話が早い。忙しかったから、としか僕は答えようがない。

 ふうん、と言いながらBBはゆっくりと足を運んでオーディオプレイヤーのところでかがみ、スイッチを入れて部屋を音楽で満たそうとする。流れてきたのは妙にダウンテンポな曲で、何の曲?と聞くとレゲエ、と教えられた。これ聞いてると、空気が黄色くなって楽しくなるんだよ、もう細かいことどうでもいいやって感じでね、そういってBBは口元をにやりと曲げる。
元気だった、と聞くと、まあね、ふつうよと言って僕の横に座る。じゃあ今から、ドライブに行こうと誘い、起き上がってカーテンを開け放った。黄白色の朝日がベランダから差してくるのを見て、僕は無限につづく自由時間を手にしたような気もしたし、またはこれが延々と終わらない悪夢の始まりであるようにも感じた。希望はあるか、そう問われても、答えは出ない。僕は、BBの部屋へ来て、彼女をドライブへ誘った。それだけの出来事が僕の体を動かす。
 BBは寝ぐせのついた髪の毛を片手でぐしゃぐしゃとかき回して、僕に聞いた。
「どこへいくの?」
黄色くなった部屋の空気につつまれて、僕は答える。
 「北へ」

(おわり)

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