見出し画像

なぜ僕がこうなったのかについての2、3の理由(12)

 木立のすがすがしいキャンパス内の並木道を歩きながら、初秋のうろこ雲を見た。夕焼けに赤く染まって連綿とつづくひだひだに、手を伸ばして触ってみたい気がする。実家の居間にひいてある毛足の長いラグのように、弱い抵抗を示しながらも皮膚をやわらかくなでてきそうなうろこだった。ピンクオレンジに染まる美しい雲の切れ間から、夕日の斜線がのぞいていて、木の葉の一枚一枚を赤く光らせている。憂うつにたそがれるには十分な風景だ。Mの目下の関心事は巨人のK投手がトレードに出されたというニュースである。

 「ほんとに、ふざけんなっていうのっ。首脳陣はヘチマだね、ヘチマ。つまらねえやつらだ」
 けなし方がMらしくていとおしい。MはK投手が高卒ルーキーとして入団して以来、チームの5度のリーグ優勝、3度の日本一に輝いた栄光へいかに貢献してきたかを熱弁した。それはさながらK投手のこれまでの野球人生の名場面ダイジェストを聞いているようだった。
 「じゃあさ、街頭でトレード反対の署名活動でもしたらどう?あのくそかわいくないジャビットくんの着ぐるみでもかぶって」
 「なんで巨人のマスコットの格好しなきゃならんの。いまはそんな気分になれないねえ。とてもじゃないけど」
 Mの口ぶりが普段の自分ならマスコットの格好で署名活動をしても構わないかのようだったのが、変で笑えた。今はMの気を滅入らせる事がほかにもある。たとえばクラスメートのHの件。Hはなぜか英語が話せる。彼女が外人だという噂もある。かてて加えて、中国語も堪能だ。お父さんが中国で仕事をしてて、とかなんとかいう話をしていたのを聞いたことがある。今朝の中国語の授業が始まる前、Hが講師と中国語で談笑しているのを目撃したMは、勝手に薄く傷ついていた。うらやましいなあ、と蚊の鳴くような声でつぶやいたMは、語学習得にかなり熱心である。

 どうやら大学卒業までに外国語のひとつはものにしたいと考えているようなのだが、最近、努力の割に成果が出ないと悩んでいる最中とのことだ。あとはたとえば創作演習の授業。Mは殊勝なことに自主的に中編の作品を提出したのだが、その講評がひどいものだというのだ。僕には作品を読ませてくれないから、なんとも慰めようがないのだが、先生が辛口であることは否めないようだった。それを聞いて僕はM以上に気が滅入ることになった。矢萩講師はこの創作演習を受け持つとともに、先日、僕の卒業創作ゼミの指導教官になることが決定したからだ。先が思いやられる。毎週のように出ている小課題も提出できないでいるというのに、2年間も彼のゼミでやっていけるんであろうか。そして卒業できるんだろうか。僕は卒業後にものを書くことで食っていこうなどと考えているわけではない。まったく、モチベーションに乏しい話である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?