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ピザとピッツァ

15年ほど前の話だが、某雑誌が大々的なピッツァ特集を組んだ。
企画を提案したのは女性編集者。東京中のピッツァをしらみ潰しに食べて調査するという、神がかった情熱を燃やしていた彼女にはこんな理由があった。

「私の母の思い出の味、いわゆるお袋の味がピザなんです」
お母さんが生地を練って寝かせて丸く延ばしてオーブンで焼く、本気のピザだったそうだ。

ここで呼び名の違いにお気づきかもしれないが、雑誌で特集したのは「ピッツァ」、彼女の母が作ったのは「ピザ」である。
どちらもPIZZAで、前者はイタリア語の読み方、後者は英語。
どっちでもいい? 
いやいや、それぞれが指すPIZZAは、じつは違うのだ。

昭和の時代、日本人が最初に覚えたのは「ピザ」のほう。
カリッとクリスピーな生地で、ピリ辛のトマトソースに黄色いチーズが溶けている。

タバスコをかけてカスタマイズするそれは、アメリカの食文化である。
といっても元を辿ればイタリアの「ピッツァ」を移民が持ち込んだのだが、アメリカ人の嗜好によって変化したのだ。

イタリアの食文化にタバスコはない。
日本人は本家より、戦後、アメリカ文化と一緒にきたミックス・カルチャーの「ピザ」を先に知ったというわけだ。

それどころか、日本で「ピザ」はさらに「ピザトースト」なる独自の支流を生んだ。
食パンにピリ辛のトマトソースを塗り、マッシュルームの水煮やピーマン、コーン、ソーセージやサラミを散らして溶けるチーズで仕上げるスタイルは、喫茶店の発明品。
それが大ヒットして家庭にまで浸透した。

私が最初に出合ったのも、家のピザトーストだと思う。
一斤買いの食パンを、3センチくらい分厚く切るのが母の流儀であった。
作る本人が辛いものが苦手だから、タバスコはなし。水煮缶も好きじゃなかったようで、マッシュルームも使わない。

スライスして水に浸し辛味を抜いた玉ねぎと、なぜか椎茸の薄切りと、フレッシュのトマトに刻んだ大葉、最後にチーズをのせて焼く、どことなく和風のピザトーストを覚えている。

そんな昭和から数十年後の今、「ピッツァ」といえば多くの人が、丸くて縁がこんがりと立ち上がり、もちもちっとした生地に白いチーズが溶けた図を想像するのではないだろうか。
それはピッツァ、正確にはナポリピッツァである。

日本のお雑煮のように、イタリアでもピッツァは各地で違うのだ。
ローマは薄くてパリパリだし、シチリアはパンみたいにふっかりした四角いピッツァもある。

東京に、ナポリピッツァの専門店が誕生したのは1995年。
たった28年の間に、このもちもち勢力は瞬く間に日本を席巻し、若者は職人に憧れ、修業のためナポリへと飛んだ。

ということで、本を書きました。
16歳でピッツァと出合い、17歳で職人を志し、18歳でナポリへ行った男の子。夢中で生きる彼を通して、
学校って何だろう? 
ナポリピッツァとは? 
職人とは? 
を追いかけたノンフィクション。『ピッツァ職人』(ミシマ社)は、5月12日(ウェブは19日)発売です。

(秋田魁新報 遠い風、近い風 5月13日掲載)

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