『東京の美しい洋食屋』メイキングちょっと
洋食を志す若者が少ない
いつも、何かを〝書いてしまって〟から出版先をどうしよう……と考える私には、珍しく依頼をいただいて作った本です。
数年前、雑誌で洋食屋の取材をしたことを機に、いつか洋食で本を書きたいと思っていました。
「洋食を志す若者が少ない」と聞いたからです。
そのあたりは本書『東京の美しい洋食屋』あとがきでお読みいただくとして、この取材以来
「洋食は、世界に誇れる日本のクリエイションなのに!」
と、ずっともやもやしていたところへ、版元であるエクスナレッジさまから「洋食をテーマに本を作りませんか」とご連絡があったのです。
先方には、3つのご希望がありました。
この3つから、ガイド的な性質の本だということがわかりますね。これまで書いてきたノンフィクションとは違います。でも、洋食が書ける!という喜びだけで即、つつしんでお受けしました。
この瞬間から、本が動き出した
しばらくして、デザイン事務所 tentoのデザイナーが仕上げてくれた、レイアウト見本が届きました。すると、縦書きで文章をゆったりと読ませてくれるデザイン、書体、文字数も十分。
これなら1軒につき1篇の物語が、きちんと切り取れます。
編集者から、デザイナーが私の本を読んでくださっていたと聞いて、イメージしてくれたのかなと感動しました。
この瞬間から、本が動き出したように思います。限られた枠の中であっても、デザインが書き手に自由を与えてくれて、私はのびのびと泳ぐことができたんです。
ほかの井川直子の本と大きく違うのは、たぶん、軽くふんわり読んでもらえるんじゃないかな?ということ。
そして生まれて初めてレベルに「味の表現」をたっぷりしていることです(笑)。
これまでは、たとえ料理人を題材にしていても、個人的な味わいの表現をあまり(まったくではありませんが)していません。「味」そのものよりも、それをつくる「人」に興味を持って書いてきたからです。
ですが今回はガイド的な性質(←ミッション、ちゃんと憶えてます)の本なので、めいっぱい、味わいを語ったり叫んだりしております。
読んでくださった方のおなかが、ぐー、っと鳴ったら小さくガッツポーズです。
有名無名問わず、「心が動いた」お店だけ
『東京の』とタイトルにありますが、関東での洋食の聖地、横浜ももちろん入って全部で32軒。すべて井川本人のセレクトです。
おいしいだけでなく、有名無名も問わず、ただ「心が動いたら」という基点を持ってお店をリストアップしました。
たったひとりの判断に振り切ったので、偏っているかもしれません。ささやかに営む個人店が多いような気がするのは、完全に私の好みです。
それでも、世の中にも後世にも伝えたい、書きたい、と自分が心底思えるお店でなければ読者には届かない。そう思って食べて、感じて、書きました。
4キロほど太りましたが、届けることができたなら本望です。
何よりも、そういう仕事の仕方が実現できたのは、私をフルオープンに信頼してくれた担当編集者のおかげです。
陰影のある写真と、言葉が重なり合って
この本にとって、もうひとつ、極めて重要な要素が写真。写真家は吉次史成さん、初めてご一緒する方です。
制作中、折々に写真が送られてくると、その美しさに何度も息を呑みました。陰影、空気、静謐、物語。綺麗なだけでなく、そういうものを感じる、とても品のある写真だったんです。
私はいつも、写真を見ながら文を書きます。
今回も、吉次さんの写真からいくつもの言葉がこぼれてきたりして、何度も助けてもらいつつの執筆となりました。
写真と言葉が重なり合って、そこはかとなく余韻が漂うような、そんな世界が写真家と一緒につくれたら。そうぼんやりと願いながら書いていました。
〝扉〟の文章で洋食の歩みをたどれます
ひとことで「洋食」といっても、現代ではさまざまなタイプの店があります。百年つづく家族経営の店もあれば、大衆のための食堂も、洋食グランメゾンと呼びたいレストランも。酒場や喫茶店にも、「洋食」はするりと入りこんできました。
『東京の美しい洋食屋』は、十章から成っています。
各章の冒頭には〝扉〟と呼ばれる1ページがついていて、つい見過ごされがちなんですけど、この扉の文章をぜひ読んでほしいのです。
明治・大正時代、やんごとなき人々が迎賓や社交のためにする食事から、なぜ市井の食堂へと広まっていったのか。
花街との不思議な関係、外国航路の船上料理人というキーマン、日本人の〝ごはん〟への愛、酒場や喫茶店で育った洋食、そしてフランス修業があたりまえになった時代の洋食……。
一章から十章まで、扉の短い文章をたどると、日本の洋食の歩みがふわっとわかってもらえるかなと思います。
では、めくるめく洋食の世界へどうぞ!
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