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#何が正解なのかわからない official

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2020年4月8日〜6月1日、緊急事態宣言下での飲食店店主たち34人の記録です。感染状況も、行政の指針も日々刻々と変化するなか、平均1.6日に1人、限りなくリアルタイムで掲載しま…
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#新型コロナウイルス

「HAJIME」米田 肇シェフ、2021年2月17日の答。 #何が正解なのかわからない(番外編)

―利他と希望― 2021年2月17日、この日発売された『Gault & Millau(ゴ・エ・ミヨ)2021』で「今年のシェフ賞」を受賞した「HAJIME(ハジメ)」(大阪)オーナーシェフ、米田肇さん。イノベーティブ、革新的な料理で日本のレストランシーンを引っ張っている米田シェフは、コロナ禍でも先頭に立っていた。 昨年3月、補償を求めて自ら発起人となった『飲食店倒産防止対策』署名運動は、最終的に18万5445筆を計上。日本を代表するシェフたちとともに働きかけて、のらりくら

「#何が正解なのかわからない」シリーズが書籍になります。

こんな2020年でも、秋は変わらず穏やかですね。 まだコロナ禍は続いていますが、春の、あのパニックともいえる渦は遠い昔のできごとのようでしょうか? それとも、まだまだジクジクと痛む生々しい傷、でしょうか。 まずは、被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。 来年、文藝春秋より刊行予定4月8日〜6月1日の約2カ月間にわたって連載してきた、このnoteでの記事「#何が正解なのかわからない」シリーズが書籍化されることとなりました。 緊急事態宣言下での飲食店店主たち、34人の

「不要不急」という言葉に傷ついた人たちへ

僕らの仕事は、不要不急だったんだ人の集まりやイベントごとの自粛が始まった3月下旬から、延期、中止、休業、時間短縮、自宅待機。数カ月にわたった沈黙の期間を経て再開した人々が、この期間、それぞれにどんな思いがあったのかを語り始めています。 その発信を聞くなかで、気になったのはこの言葉。 「僕らの仕事は、不要不急だったんだと気がついた」 本当に多くの人が口にしています。 私のフィールドでいえば、外食や夜間の外出が「不要不急」とされ、肩を落とす店主たちを見てきました。でも飲食業だ

書記係・井川直子、6月1日の答。

―任務終了のお知らせとお礼― ひと呼吸して、息を調えて2020年6月1日月曜日。世の中が動き出そうとしています。 これまで休業していた飲食店も、次々と再開しています。 といっても「よし、いくぞ!」ではなくて、慎重に、キョロキョロと周りを見ながら、歩幅を小さくしての歩み出しといった感じですね。 5月25日に緊急事態宣言が前倒しで解除され、26日から東京都は休業要請の緩和をスタート。ステップ1として、飲食店は22時まで営業できることになりました。 その、わずか6日後の本日から

「銀座・器楽亭」浅倉鼓太郎さん、5月28日の答。

―コロナとともに― WHOがパンデミックを認定した5日後の3月16日、「銀座・器楽亭(きらくてい)」はオープンした。 その約3週間後には非常事態宣言。店主、浅倉鼓太郎さんは真新しい店の休業を決めた。けど、彼は下を向かない。顔を上げて前を向く者にしか、道の先は見えないから。 銀座は人がいない街 12年間営んだ杉並区久我山から、銀座に移って約2カ月半になります。割烹「銀座・器楽亭」を銀座6丁目にオープンしたのは、3月16日。 東京オリンピックは「予定通り開催」とされつつも、世

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「ワルツ」大山恭弘さん、5月26日の答。

―静かな暮らし― 「バー」への要請は、時短ではなく完全休業。「Wine Stand Waltz(ワイン スタンド ワルツ)」が店を閉めて2カ月あまりになる。売上はないが、しかし家族3人の静かな暮らしは可能。店主、大山恭弘さんがコロナ以前から選んでいた、従業員なし、小さな店という「背負わない」強さ。 背負わない道を選んだ「ワルツ」はもう2カ月近く、4月1日の水曜日から休んでいます。 3月31日までは普通に営業していました。うちは小池さんの会見でもあまり影響はなくて、むしろ時

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「レフェルヴェソンス」生江史伸さん、5月25日の答。

―社会活動― 自身のレストラン「レフェルヴェソンス」は2カ月間の完全休業。その間、生江史伸(なまえ しのぶ)シェフは署名活動、政治家への陳情、闘うための海外リサーチに草案作りと駆け回った。飲食店と、彼らが作る食文化を守るため。大きくてのんびりとした山が、しかし確かに動き始めた緊急事態宣言解除の夜。 飲食業は、もの言わぬ産業そもそも僕はコロナ禍以前から、日本の食文化を守り、飲食業の社会的地位を認めてもらう活動をしていたんです。まずはそこから話しますね。 飲食業はずっと、も

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「オルランド」小串貴昌さん、5月23日の答。

―営業+親切すぎないテイクアウト― 自称、わがまま。「オルランド」オーナーシェフの小串貴昌さんは、自分がしたいことしかしない。だから誰のせいにもしない。と言うけれど、その行動は案外、誰かのためだったりもする。人の心を楽しくさせるため、今がおいしい野菜を余らせないために考えた、親切すぎないテイクアウト。 ハードルを微妙に上げてあげる テイクアウトは4月8日(緊急事態宣言の翌日)から始めて、最初はパスタ5種類、前菜とメインで計3種類くらいだったんです。 でも俺の癖で、足りない

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「葡呑」中湊 茂さん、5月19日の答。

―小さく営業― 「葡吞(ぶのん)」の厨房にはどこでもドアがある。そう噂されるくらい、いつの間にか地球のどこかに飛んでいる店主、中湊 茂さん。「時間もお金も、人に会うということ以外に遣う意味はない」を信条とする人が、どこでもドアを使えなくなった、今。 店が鳴っているような感覚「葡呑」は本来〝密〟なんです。密集というよりも、熱量の濃密さというか。たとえば会社員のグループが楽しく吞むような早い時間から、飲食店やワインのインポーターなど食の玄人、海外のゲストが続々とやってくる深夜

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「ヴォーロ・コズィ」西口大輔さん、5月18日の答。

―2カ月の休業、テイクアウトと宅配― 閑静な白山の街で、イタリアそのままを続けて14年。「ヴォーロ・コズィ」西口大輔シェフが、初めて「料理を店の外に出す」ということをした。SNSとも無縁だから、宣伝なし、予約制、リストランテと同じ手間を掛けた、いわばアナログなテイクアウト。その試みを支えているのは、常連たちとの深いつながりだ。 落ち着いた街、長いつき合いの常連さん とにかく、お店を閉めなければいけない。一番にそれが決まりました。休業です。客席数を絞ったり、時間を短縮したり

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「眠庵」柳澤 宙さん、5月16日の答。

―淡々と営業― 2004年、神田の古民家で開店し、2020年で16年。「眠庵(ねむりあん)」の柳澤 宙(やなぎさわ ひろし)さんの前職は化粧品会社の研究員、その前は大学で応用微生物学を専攻。世界を微生物の目から見る蕎麦職人は、人類未曾有の危機にどう対峙したのだろう? 世界が変わったのは、3回目 世界が変わったな、と感じました。 この感覚は、2001年の9・11(アメリカ同時多発テロ)、2011年の3・11(東日本大震災)と同じで、今回のコロナ禍が3回目です。 19年前の

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「荒木町 きんつぎ」佐藤正規さん、5月15日の答。

―要請に準じた通常営業― 2018年7月に開店して、もうすぐ2周年。「荒木町 きんつぎ」は、アイデア溢れる和食と日本酒で荒木町に新風を吹き込んだ。飲食店が必要とされる今と未来を疑わない、1986年生まれの店主が選んだ答は「通常営業」。 自分たち以外の理由で売上が落ちること僕らはテイクアウト、デリバリーなどは一切していません。 「通常営業が営業だ」という気持ちを強く持っているので、これまでイベントなどのお誘いも辞退してきました。 そんなことは言っていられない非常事態かもしれ

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「すし 㐂邑」木村康司さん、5月15日の答。

―クローズ― 今やミシュラン二つ星の「すし 㐂邑(きむら)」には、店主の木村康司さん曰く「どん底」の8年間がある。だから彼が「生きていればなんとでもなる」と言うのなら、それは綺麗ごとでなく、経験を伴う本心だ。何度でもゼロから始められるという自信を持って命を守る、クローズという答。 平等に、来週の分だけ、早いもの勝ち 僕、もうすぐ50歳になるんですよ。長年かけて自分が蓄えてきた知識や技術を、そろそろみんなに分けていく歳じゃないかな、という思いで、数年前から海外でお鮨を握る機

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「パッソ・ア・パッソ」有馬邦明さん、5月7日の答。

―ご近所営業― イタリア料理店「パッソ ア パッソ」は門前仲町で18年。有馬邦明シェフは自ら日本各地へ足を運び、生産者たちと交わってきた。一方で祭りを愛し、町会のゴミ拾いにも参加する地元密着の人でもある。地に足をつけ、身の丈を信条とするシェフの答は、街への思いに溢れていた。 いつだって、明日はどうなるかわからない こんな経験はもちろん、誰もがまったくしたことなんてないですよね。どうすればいいかなんて、わからない。 わからないけど、そのなかで今、自分たちができることはなんだ

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