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Happy birthday Thamara♡

日付が変わってしまいましたが、3月9日はバレエ・リュスのもっとも活躍し主宰者ディアギレフにも観客にも愛されたタマラ・カルサヴィナのお誕生日でした。

1885年生まれ、1978年死去。父親もダンサーという家系でしたが、兄はレエ・リュスのもっとも活躍し主宰者ディアギレフにも観客にも愛されたタマラ・カルサヴィナのお誕生日でした。


1885年生まれ、1978年死去。父親もダンサーという家系でしたが、兄は哲学者で中世歴史学者だったことから非常に頭の良い、知的な会話ができるダンサーとしても愛されました。

1909年から1929年の解散まで長きにわたってバレエ・リュスで活躍しました。すべてのバレエ・リュスの男性スターと共演したというのも考えてみるとスゴイ経験値、ですよね。

ヘッダーの油彩画(以前ご紹介しましたが、映画マシュー・ボーン版『赤い靴』にも登場しています)は1910年初演、音楽・振付・衣裳・美術すべての要素がバレエ・リュスのために最初から作られた初の作品。以後、バレエ・リュスの作品はわずかな例外を除いてすべてそのようなバレエ・リュスのためのオリジナル作品になっていきますが、これはその1作品目。

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実はこの「火の鳥」の役、『瀕死の白鳥』ですでに有名だったアンナ・パヴロワが予定されてたのですが、ストラヴィンスキーの音楽を聞いたアンナ・パヴロワが「こんな騒音見たいな音楽で踊りたくない」と言っておりたと言われています。

ですが、作品は大成功。1909年の初のパリ公演から人気のあったカルサヴィナの名声は揺るぎのないものになったのでした。

その後『薔薇の精』『ペトルーシュカ』、ニジンスキー振付の『遊戯』といった作品やレオニード・マシーン振付、ピカソ美術・衣裳の『三角帽子』、『プルチネッラ』など多くの作品ン初演を務めています。

イダ・ルビンシュテインが当たり役だった『シェエラザード』のゾベイダ役も踊ったことがあります。

イダとは雰囲気が違いますが、かわいらしさもある美しさ。

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こちらがプルーストも大ファンの一人となったイダ・ルビンシュテイン。

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研究を始めた頃にはアクセスの難しかった動画も今やYoutubeで家に居ながら見られます。
こちらはパーティーでカルサヴィナが踊ったミハイル・フォーキンの『トーチ・ダンス』。フォーキンの「即興的な振付」の特長も感じられるのではないでしょうか。

バレエ・リュスが1929年に解散した後もカルサヴィナは踊り続けました。結婚した相手が英国人の外交官だったので主に英国で生活し、ランバート・バレエ、後にロイヤル・アカデミー・オフ・ダンシングでも若いダンサーたちの教育に力を注ぎました。

そのアカデミー・オフ・ダンシングは今年創設100周年!
英国のヴィクトリア・アンド・アルバート美術館で予定では9月まで開催中の展覧会も是非是非行きたい、どうにか行きたいと思っています。






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