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初の“Black Ballerina”


米国ミネソタ州、ミネアポリスの警察官による人種差別的背景をもつアフリカン・アメリカン青年ジョージ・フロイド死亡をきっかけにした暴動は全土に広がりつつありますね。

根強い差別意識が簡単に変わらないことをこうした事件の度に強く感じます。(日本にもありますが、見ないようにしている状態も多いのではないでしょうか。)

そこで思い出したことがありました。

バレエと「黒人差別」なんて関係あるの?と思われるかもしれませんが、残念ながらあるのです。

世界初のアフリカン・アメリカンのバレエ・ダンサーはレイヴン・ウィルキンソン(1935~2018)でした。

ディアギレフのバレエ・リュスが解散した後をついだ「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」が米国を中心に活躍していた時期に雇われ、デビューしました。
当時、米国の中でも特に差別が激しい南部もツアーするカンパニーにアフリカン・アメリカンが入団できるわけがない、という友人もいたそうですが、3回目のオーディションに合格、1955年に20歳で入団。

あまりその点は注目されませんが、バレエ・リュス・ド・モンテカルロは17か国のダンサーが参加していた国際色豊かなバレエ団でもありました。

ウィルキンソンについた最初の大きな役は『レ・シルフィード』のワルツでした。

当初は何事もなかったのですが、3期目になってモンゴメリーでの公演の際に白人至上主義結社KKK(白装束に三角に尖った帽子は一度見ると忘れられないビジュアルですね)が客席に入って来て、「黒人はどこだ!」と叫ぶ事件以降、次第に激しい差別にさらされるようになりました。
バレエ団は彼女を守ろうとしましたが、舞台で踊れないことも増え、1961年に退団。当時、彼女と共に踊った人達も見ていた人達もその才能を惜しみました。

ですが、その後米国で彼女を雇うバレエ団はなかったのです。
残念ながら、それが米国の実情だったという事でしょう。

ところで、ディズニー映画『くるみ割り人形と秘密の王国』にも出演した、ミスティ・コープランドはご存知でしょうか。セルゲイ・ポルーニンの出演も話題になった映画です。

https://www.youtube.com/watch?v=HZX7iUOsRuU

彼女がアメリカを代表するバレエ団の一つ、アメリカン・バレエ・シアター(ABT)が初のアフリカン・アメリカンのプリンシパルに迎えられたのは2015年の事です。

もちろん、バレエに触れる環境、学校の問題等も背景にありますが、いずれにしろ、いかに長く根強い障壁があるかが想像できる事実ではないでしょうか。

2015年にダンス・USAミスティ・コープランドがはレイヴン・ウィルキンソンにインタビューしている映像があります。これは2015年のダンスUSA2015トラスティ・アワード受賞にあたってプレゼンターだったことから実現したものです。短いですが心を打つスピーチです。

https://www.youtube.com/watch?v=-kUolyXG-C0

米国先住民初のバレリーナが誕生したのも実はバレエ・リュス・ド・モンテカルロが初めてでした。

その話はまたあらためて…。

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