扉の向こう
10月だというのに、昼間の日差しは真夏並みに鋭い。ベランダに置いている鉢植えを日陰に移動したのは、新芽が熱さで枯れかけていたから。早く気付いてあげれなくてごめんね。
病棟移動して環境がころりと変わった。新しいスタッフ、知らない患者さん、やり方が違う仕事内容。覚えることが多くて大変なんだ。移動前日は初めてのおつかいか?それくらい緊張して眠れなかった。でも、蓋を開けるとそれほどストレスを感じない。
50歳をすぎてから、歴史小説が好きになった。当時の生活に興味が出てきたのだ。武士は藩の為に生死をかけ戦い、負けると死が待っている。市井の人々も飢饉や病気が隣り合わせで、生きるのに一生懸命だったそんな時代。
ほんの76年前も戦争で、若い命がたくさん散っていった。想像するだけで震えが来る昭和の初めは、そんなに昔の話ではないんだ。ご飯が食べられて、家があって、着る服もあって、水道から水が出る。なんて幸せな時代を生きているんだろう。凄く贅沢な生活といえるよね。
それなのに、食事を食べない患者さんがいるんだ。その人にあうカロリーの食事を、お盆にのせて目の前まで運んでいるのに、顔をしかめて食べないんだ。食べないと点滴になるから(最悪死んでしまうから)一生懸命食事介助をしているのに、口を閉ざして食べないんだ。食べたくないの、の一言で。
残飯入れに、手付かずのままのご飯を棄ている時、いつもチクリと心が痛む。あっという間に残飯入れは重くなる。もっと必要な人の所に何故提供されないのだろう。患者さんだもの、しょうがない、食べれないのは心の病気だから、しょうがない、病気だから、ビョウキダカラ・・・。
たくさんの方が餓死して死んでいった。今も日本のどこがで、世界のあちこちで、食べれないで死んでいく人々が、間違いなくいる。捨てられる食べ物をみて、ストレスが少しずつたまっていく。〜食べれないわけじゃないの、食べたくないの。食べたくなったら、いつでも食べられるんでしょう?だってここは病院だから〜それって、病気なの?甘えではないの?!
今度の病棟は寝たきりの患者さんが多くて、食事介助も大変。だけど、残す事はあっても、食べたくないなんて言う人はいないんだ。自由に動けない分、命に敏感になっているのかもしれない。食べる事しか楽しみがないのかもしれない。
食べれないと甘える(私はそう感じてしまう)患者さんを、可愛いと言うスタッフもいる。でも、寝たきりでもがむしゃらに食べて生きようとする患者さんの方が私は好きだ。だからだろう、今の病棟ではストレスをあまり感じないんだ。
日当たりが良すぎて枯れる植物もあれば、サボテンみたいに大丈夫な植物もある。置かれた場所で咲きなさいという、有名な本があるけれど、場所を変えるのもいいんじゃないかな?少なくとも、赤紙から逃げられない時代とは違うんだから。選べるんだから。人によって咲く場所は違うから。
明日もオムツ交換大変だけど、身体を動かしている方が楽だ。
竹内まりやさん 《 夢の続き 》
重い扉の向こうは
いつでも青空さ
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