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【Opera】オペラシアターこんにゃく座『末摘花』

 オペラ『末摘花』は、ニュー・オペラ・プロダクションの創立15周年委嘱作として寺嶋陸也が作曲、2006年2月に初演された作品。原作は榊原政常の戯曲『しんしゃく源氏物語』で、戯曲の言葉をほぼそのまま台本にしている。初演は11人編成のオーケストラによっているが、今回は作曲者自身の弾くピアノ伴奏による上演である。

 ストーリーは『源氏物語』の中でも、「たぐいまれな不美人」という点で一度読んだら忘れられない印象を残す末摘花の姫君のお話。光源氏が政敵との争いに負けて須磨へ逃れ、後ろ盾をなくした姫君の屋敷は荒れるばかり、使用人たちもどんどん辞めてしまうというところから舞台は始まる。末摘花は故・常陸宮の姫君という由緒正しい血筋のため、万事おっとりとしていて生活が困窮しても何ができるわけでもない。受領に嫁いだ叔母がやってきて、この家や父宮の遺品を売り払えばと言っても、父上のものは紙1枚でも手放したくないと拒む。そしてただひたすら、源氏を信じて待ち続けている。第1幕の終わりで、源氏が許されて都に戻ってくるという知らせがもたらされ、一同が喜ぶのだが、それから半年後、第2幕が始まっても源氏はまだ姫の元を訪れる気配もない。きっと源氏は姫のことなど忘れてしまったに違いない、とみんなが思っているのだが、ひとり、姫だけは源氏の愛情を信じている。最後にとうとう、源氏がやってきて(舞台上には登場しない)、姫の思いが実を結んだというところで物語は終わる。

 この物語が意味しているものは何だろう。かつて『源氏物語』を読んだ時には、「たぐいまれな不美人の姫が、誰よりも尊い真心を持っている」という筋立てに心がほっこりしたのを覚えているが、今回オペラを観てその時とはやや違う感想を持った。2幕の後半、夫が出世して筑紫に下るという叔母がやってきて、姫の乳母・少将の娘である侍従も一緒に連れて行くという場面で、少将は侍従を「年老いた母を捨てて行くのか」となじる。この時まで姫に仕えていた宰相は、姫が侍従に餞としてかもじを贈ったのを見て「何十年も仕えてきて汚い抜け毛をよこすなんて!」と激怒し屋敷を出て行く。使用人の中で一人残されることになった少将は、「姫と一緒にここで朽ち果ててやる」と叫んでくずおれる。つまり、姫の周りにいる人間は、誰もが姫のことを心の底から思ってなどいない、ということが明かされるのだ(少将はそれまでずっと姫の源氏への愛情を褒め称えていたのに…!)。孤独な末摘花の人生でたったひとつだけ信じられるものが源氏との愛の時間だったのだとすれば、それはなんて切なく、儚く、悲しいことだろう。

 同じように男に見捨てられた蝶々さんには、彼女のことを心底心配し続けるスズキという人がいた。ただし蝶々さんはピンカートンとは結ばれず、最後には自害という結末を迎える。それに比べると末摘花の場合は、源氏が戻ってきたことで少将や宰相も元どおり仕え続け、さらに源氏の館である二条院で妻(のひとり)として生涯を送るのだから、ハッピーエンドということになるのだろう。それに、仮に源氏が来ないままだったら、と考えると、お金も生活力もない姫の末路は悲惨なものになることは想像に難くないのだ。

 だがどうしても私は手放しでそれを「女の幸せ」だと喜ぶ気持ちにはなれない。そもそも、コミュニケーションを取るのが下手で、誰からも相手にされない女性は現代にもたくさんいる。そう考えると、愛だけが人生のすべてだった末摘花という女性が、男性社会の犠牲者にみえてくる。いや、このオペラに登場する女性たち(というかこのオペラには女性しか登場しない)はみんな、男性原理の元でもがきながら、なんとか己の人生を生きようとしている。京都弁と大阪弁と宮中言葉をミックスしたようなテクストはとてもテンポが良く、踊りも交えた女性たちの仕草は確かに面白かったが、しかし怒り狂う宰相や嘆き叫ぶ少将の姿を見て大声で笑っている人たちが少なからずいたのには心底驚いてしまった。あれは、そのようにしか生きるすべのない女性たちの必死の「生き様」ではないのか。その姿はやはり切なく、悲しく、けれども同時にとても力強い。決して笑い飛ばすようなものではないと思う。

 寺嶋陸也の音楽は、ところどころラヴェルやドビュッシーを思わせるような響きを奏でながら、女性たちの生き様を真摯に、美しく描いていく。言葉とメロディとの結びつきがとても難しいところもあったが、歌役者たちはおおむね好演。中でも少将役の岡原真弓はベテランの演技力をみせつけた。また末摘花の高岡由季は、赤い鉤鼻の付け鼻をつけ、いかにもおっとりした世間知らずの姫君を熱演。時間が経つにつれ、姫君の顔がとても可愛らしく見えてきたのは、同じ女性として姫の思いに同調してしまったからだろうか。

2020年9月9日、俳優座劇場。

 

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