音楽家。
私は音楽(歌)を教える仕事をしているけど
やればやるほど、自分は音楽を知らないな・出来ないなという思いが高まって縮こまっていた。
10年以上かけて無意識に高まり縮こまり続け
自分と完全同一&固定化していたその思いに、最近ちょっと変化が見えた。
ちょっと、じゃないな
これは私にとっては大きなできごと。
「ずっとA型だと思ってたのに違った」
くらい。
変わる箇所だとすら思ってない箇所だった。
楽典、理論、人体の仕組み、演奏技術、様々なジャンルへの興味関心と知識、、、
どれをとっても、中途半端で
極めていない自分。
イコール、私は音楽を知らないし出来ない自分。
じゃあなんでこんな何年もこの仕事続けてるんだろうか。接客技術だろうか←。だろうな←。
というふうに漠然と思っていた。
でも、急に、近頃
周りで音楽が鳴り出した。
セミの声、プラカップを叩く音、プロコフィエフ、crap、娘とのボイスパーカッション、会話も笑い声もぜんぶ
音楽。
聴こえる音が、調和して鳴っていて
奏でる音がリズミカルで
笑い合う。
楽しい。
音を楽しむ“音楽”じゃない。
私が、やるんじゃない。
音はすべて最初から、こんなにも楽しくて
いつだって囲まれていることに気づく“音楽”。
音がこんなにも楽しいのは
いつ以来だろう。20年ぶりくらいだろうか。
いやきっと、私は楽しんでいたんだと思う。これまでも。
ただ、私が楽しんでいるソレが、音楽だということがわからなかったんだ。
わたし、音楽できてた。やってた。
わたし自身が音符だった。
そのことに気づいたとき不覚にも涙が出た。
嬉しくて、安堵した。
わたし、音楽に恋焦がれていたんだなぁ。
きっと、誰もが
音楽してる。
誰かとの会話の中や、歩いているその足で
音を奏でて波を作り出して、感じてる。
音符のひとつとして。
あぁ。ほんとに。
やっぱり世界は、美しい。よね。
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