厨二とママの折り合い。
わたしは厨二病者なんですが(今でも使う??厨二って)
なにかを表現をする、にあたって
この厨二のわたしが主導権を握るんだけども
“母”っていう役割ができてから
厨二と折り合いがつかない感じがしててね。
なんだろうな。
娘には、厨二病を患ってほしくないからというのもあるし
母親って、厨二だと立ち行かない場面がたくさんあるんだよね。
社会的な、生活が回らないの。厨二だから。中二だから!笑
理性を担う父親がいたらもう少し違ったかもしれない。
わたしがもっと自由人だったら違ったかもしれない。
でも、父親はいないし
わたしは社会で生きてる。
それを選んでる。
だから今は、“厨二のわたし”じゃなくて
“ママのわたし”が主導権を握ってるんだ。
感性が閉じちゃったのかなとか
表現者じゃなくなっちゃったなとか
寂しくなるときもあるけど
今は“ママのわたし”が活躍する場面にしたいんだ。
それでも、誰かの歌や演奏を観ると、ちゃんと心が震えるから
この心の振動は、わたしの感性の共鳴だから
ああ、このわたしも、いるね。って思う。
心が震える、って才能。
感動できる、って才能。
うれしいな。世界はすごいな。
厨二のわたしも健在です。
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