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「すっぴん日記」、はじめます。

普段Instagramを主な発信場所としている私。

だけど、もともと苦手意識のある「魅せ方」「デザイン」に不自由さを感じるようになり、自由を求めてnoteを始めた。

noteは書くだけに集中できる。これで思う存分、等身大の自然体な自分を表現するぞ!と気合を入れていくつか書いてみたものの、「うーん、なんか全然私らしくない気がする」と感じ始めた。
(書いた後に、なんか違う、なんか違うと、何十回も修正していくものだから、最初言いたかったことからどんどん内容が変わり、ますます変になっていく悪循環)


そうなったらもう、何をどうしていいのかわからなくなり、手が動かなくなる。

そして、この「私らしくない」は、私にとってめちゃくちゃパワーワードで、そう感じた瞬間、手が動かなくなり、最終的にフェードアウトしてしまう。
これがいつもの、お決まりパターン。

だけど、まだこの感覚をまだうまく言葉にはできないけど、自分の気持ちや想いを言葉にすることで、心や身体の中がスッキリ軽くなる感覚がある。何とも言えない爽快感。

できればもう少しだけ頑張って(といっても私がやりがちな頑張りすぎるは避けたい)、書き続けてみたいけどどうしたら…とモヤモヤしていた時に出会ったのが、いしかわゆきさんのnote

軽くて、ゆるくて、そしてなんて優しいんだ。
私が求めている、自然体で自由な表現ってこういう感じ。を体現している。

そこからnoteを読み漁り、ついで著書「書く習慣」も一気読みした。

自分語りをするために書いていい。
「誰かのために書こう」
「誰かにとってタメになる話をしよう」
なんて考えるのは、もうちょっと先の話。

書く習慣(いしかわゆき)

そっか、私はまだ「自分語りがしたい」フェーズなんだ。
あわよくばたくさんの人に読まれたらいいな、仕事に繋がったらいいななんて、ちょっと背伸びしてたけど、私はまだまだそこには行けない。

だったら堂々と、「自分語り」を満足するまで、楽しんでみようじゃないか。

そう思ったら気持ちがすごくラクになって、書きたい欲が出てきた。

「誰かに見せる文章」と「誰にも見せない文章」は本気度がまったく違う
「誰かに見せる」を意識すると着飾った文章になる。
「誰にもみられない前提」で本音を書く練習をしてみよう。

書く習慣(いしかわゆき)

今まで書いてきた文章を読み返すと、本音というより人の目を気にしまくってて、痛い。恥ずかしい。

いっつもすっぴんなのに慣れない暑化粧して、いっつもTシャツジーパンなのにカチッとスーツを着込んでる、みたいな感覚で、すごく居心地が悪い。

誰にも読まれなくていい、面白くなくていい、最後に落ちがなくてもいい。

言葉にならない「気持ち」を私に伝えるための、今この瞬間の想いをカタチにするための、私による私のための「すっぴん日記」でいいじゃないか。

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