「一回失敗したから怖い」は当たり前、なのか?

「また失敗したら、会社に戻ればいいよ」この言葉がいつも私の奥で、安心材料になっている。

私は過去に、一度自分でビジネスをしようと思って失敗したことがある。


自分の中では精一杯一生懸命頑張ったつもりだったけど、最後は心がポキっと折れてしまい、結局会社に戻った。


一度全力で通った道だからこそ、「失敗」した時に味わったあの感情、リアルな不安や焦りがいつも私の隣で存在をアピールする。
不安を察知するたびに「でも、私には戻れる会社がある。きっと会社に戻れるから大丈夫」と自分に言い聞かせていることに気が付いた。

一回「起業」に失敗したから、「起業」が怖いのはしょうがない。ずっとそう思っていた。


だけど、昨日読んだ本にこう書いてあった。

人間は自分の居場所、所属する集団がなくなるのを極端に怖がる動物です。
〜中略〜
多くの人が文句を言いながらも会社を辞めないのは、これが理由です。
大学生が遊ぶのを辞めて就職のために自分を磨こうとする理由の多くが、「どうしてもその会社に入ってやりたい仕事がある」と言いう積極的理由よりも、こういった「居場所がなくなる」と言う消極的理由が中心です。
喜多川奏「手紙屋」


そうか、私は大人として、社会人としての、いや私という人間が所属してていいと思える「安心できる居場所」がなくなることがすごく怖いんだ。肩書きもない何者でもない、そして何も価値提供ができない私になる状況がすごく怖い。


だけど、もしまた今回挫折して、とりあえずなんとかどこかに所属したとしても、結局本質的な欲求(自分が本当にやりたいことで、もっとしあわせに豊かになりたい)は満たされないわけで、また機会をみて動き出し、それが不安になれば、またどこか所属する場所を求めてまたぐるぐるし続けるはず。

そういえば、少し前にまみさんから「ヤドカリ」って言われたことを思い出した。私はやりたい事をやりたい!と言いながら、いつも、とりあえず安心できる場所を探していたにすぎないのかもしれない。

だけどもう、目の前の不安や恐怖を解消するために、自分の気持ちを誤魔化しながら生きていくのは嫌なんだ。自分が本当に欲しい未来、作りたい世界のために前だけ見て進んでいきたい。

今のあなたは、成功の人生を送る上でどうしても必要な経験を集めているだけなんです。
喜多川奏「手紙屋」


今まで「失敗」だと、ラベリングしてきた過去の経験も全て、私がこれからの未来で手にする成功を掴むために、必要不可欠な要素のひとつでしかない。そう考えてみてはどうだろう。


一度経験したからこそ得ることができた、「これは違った」「もっとこうすればよかった」(失敗、後悔とラベリングしていた全て)は、私の財産なのだ。

だから「とりあえず所属するための居場所探し」はもうしない。
まだどこに向かうのかハッキリと見えなくても、いつか「これだー!」と言うものに出会った時に、即断即決即行動できる私でいるために、今この瞬間を大切に全力で生きていこう。

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