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ピンクのカーテンの向こう側

どうして働くの?

「どうしてそんなに働くの?」

ある人は純粋な興味から、ある人は半ば呆れた様子で、何度も私に向かって投げられるこのセリフ。

その度に思い出すのは、実家の子ども部屋のカーテンだ。

小学生の頃の思い出

私が小学校に入ったばかりの当時、平屋に3世代同居していた我が家は、2階の増築を控えていた。1階の寝室に鎮座する私の学習机は、新2階の私の部屋へ移動。さらに両親に頼み込んで「私の部屋にゆくゆくはベッドを設置する」との確約を取り付けた。憧れのベッドだ。

そして、とうとう完成した2階。「初めての自分の部屋!自分の空間!これからは、弟に邪魔されないし、祖母に突然手伝いを頼まれることも減る。サイコー!」と、ウッキウキで私の部屋のドアを開けた。

目に映るのは、ピンクのラインが入ったカーテン、フリフリのセンタークロスのレースカーテン。父親の「理想の娘」が反映された窓辺である。

がっかりした。私が最も嫌いな色はピンクだからだ。

明らかに口数の減る私。やや不機嫌になる親。ついでに、後日納品されたベッドカバーもピンク。誰も悪くないがちょっとだけ不幸。

今思えば、私の学習机周りにもワンポイントピンクが入っていたし、色の好みについて話したこともなかったので、両親は「他の色を入れるより統一した方がいい」と考えたんだろう。だから、何も聞かれなかった。

幸福の条件

他愛もない子どもの頃の思い出。けれども、私が考える「幸福」を象徴する話でもある。

(1)周囲が良かれと思って用意したものが、必ずしも私の希望とは一致しないこと。つまり、自分で好きなものを選ぶと、自分も周囲も幸せになる。

(2)「好きなものを選ぶ」も大事だけれど、「あらゆる選択肢の中でこれを選んだ」の実感もほしいこと。


「希望の実現」と「選択した実感」で、私の人生を満たしていきたい。私がこの二つを得やすいのが「働く」だから今年も働いた。もしかしたら「愛する」や「育てる」や「広げる」でも得られるかもしれないが、今の私は「働く」がしっくりくるので働いているのだ。私は「育てる」を味わえるほど余裕のある大人でもないからな、、、すまんね息子よ。

数十年前も今も

2020年12月31日の今日は、ブルーのカーテンとグレーのシーツを洗濯して、新しい年を迎える準備をする。25年前は隣の部屋から聞こえる受験生の弟の独り言、今は受験生の息子の独り言がBGMだ。

心穏やかに今年を終えられますように。また来年も良い年でありますように。