いろんなことをやりたがってしまう病
世の中には、時間に関する「ノウハウ」が溢れている。
一年は365日(今年は366日だけど)。
一日は24時間。
世界的基準で、時間とは、そういうものになっている。
多くの人が、「時間」を管理しようとしている。
どうしたら、仕事の効率が上がるのか、
仕事とプライベートのバランスを取るのか、
そもそも、何も予定しない余白をどうやって作るのか。
限られた時間を「より〇〇するためのハウツー」は、おそらく、これからも、多くの人に求められるが、決して、正解のない迷宮のルールだろう。
そんなこと、わかっちゃいるが
私はどうも、ひとつのことだけに没頭して、一日を過ごすということが難しい性分らしい。
いや。
ひとつのことに没頭しはじめると、そこには、未知のあれやこれやが転がっていて、本筋とは違うかもしれない「それってどういうこと?」を確かめてみたくなったりするのだ。
例えば、読んだ本の中で「〇〇が言っている、●●」と書いてあると、本当に〇〇は、そう言っているのか、確かめたくなってしまう。
本人に直撃インタビュー的な感じかもしれない。
現実には、そうすることはできないので、原著にあたってみるわけだけれど、「〇〇が言っている●●」は、それなりに奥が深かったりして、結局、何を言っているのか理解できなかったりすることも多い。
果たして、これをムダと言わずして、なんと言わんや。
で、ある。
が、しかし、すべてムダかと言えばそうでもないようだ。
塵も積もれば山となる、である。
とはいえ、時間は有限なのである。
世の中にある、すべてのことをこの目で見て、この頭の中で理解することは不可能なのだ。
そんなこと、わかっちゃいるのに、
「知りたい、もっとわかりたい」
という欲が、湧き上がる。
時に、そんな欲は、自分が本当に行きたい道を塞いでいるのではないか、
と思う。
好奇心が旺盛だとか、
いくつになっても挑戦し続けるだとか、
そんな言葉に置き換えれば、カッコイイが、
また、言い方をかえれば、これは病であると私はとらえている。
いろんなことをやりたがってしまう病だ。
そんな私の病は、私を成長させ、行動を起こす原動力にもなってきた。
一方で、たぶんきっと、なにか、そうせざるを得ない、気がついたらそうしてしまっている、無意識の私の闇につながっているように思う。
私の中にある「闇」とは、表にある「光」と対照的にあるもので、「闇」に気づくということは、次の統合に向かうステップになる、ととらえている。
いい兆し、なのだ。
【こたか真子公式無料メルマガ】https://resast.jp/subscribe/160019
読者登録で、30分無料個別相談を受けられます。
ひとり起業家のコンサルをつけるほどでもない話ができたらいいな
親が高齢になってきたので介護や相続が気になる
夫婦関係このままでいいのかな?と思うことがある
という方は、どうぞお気軽にご相談ください(^^)/
https://resast.jp/subscribe/160019
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?