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てぇてぇ生命よ、お前を生きよ


#創作大賞2024 #エッセイ部門


アタシは美容院ではあまり自分のことを話さないようにしている。
何故なら、何処の美容院でも必ず同じことを言われるからだ。
厄祓いしてきたほうがいいですよー

この言葉を聞くのが嫌で、アタシは話さない。
余計なお世話だよ、クソったれー


或る小論文の授業で『死について』書けと講師が言った。アタシはちょうどおばあちゃんを急性骨髄性白血病で亡くした時期だった。アタシは真剣に書いた。今までの講義の中で一番真剣に。『死』について経験した思い、心の底の底までアタシの思いと考えを思いっきり吐き出した。
返ってきた小論文の答案の点数は0点だった。答案にはこう書いてあった。
全くもって当たり前のことで何の面白みもなく、くだらない
そうだ、思い出した、中学三年生の時にテストで今までの人生を自身の感想を交えて書きなさい、と。その時のテストも0点だった。女の先生は言った、
こんな人生山あり谷ありじゃないわよ
そうなのかと思った、転校ばかりでかなりキツイいじめ受けて、結構苦労してきたような気がするけど、大したことではないのね。
アタシの経験した、真剣に悩んだり悲しんだり、傷ついたり涙した思いは、他人から見たらつまらないのか。ちなみに小論文の100点満点は、私の隣の席に座るコだった。講師にめちゃくちゃ褒めちぎられていた。
何で死とバーチャルリアリティが結びつくんだよー
講師の顔を見たら、興奮でテンション爆上がりの満面の笑みだった。
なるほど。

他人からみたつまらない人生の悩みは、アタシを何度かODに走らせた。今なら分かる、どれだけアホだったか、バカもんだったか。
だからアタシは、トー横キッズら、自殺を考えているヤツらに教えてあげたい。
やめろ。マジでやめろ。骨になるだけだから。
ついでに、そんなに死にたければ、アタシのところへ人生相談に来い。
ODは一旦やったら、恐らく、だが、、またやる。鬱状態やひどく傷付いた時、落ち込んだ時、飲めてしまうのだ、簡単に。100錠なんて余裕だ。
アタシは5回はやった、そのたびに炭のお世話になった。

学生の頃のアタシは、カウンセラーの先生にとにかく嫌われたくない、友達が欲しいと言っていた。小学生の頃から、それこそ大学生、いや、それ以上、大人になってもしつこく言っていた。アタシの長年の夢だったらしい。年齢=歴、それくらいリアな友人とリア彼氏を求めていた。アタシの夢はいつも未だ見ぬ友達と彼氏から全て形成されていた。ディズニーに行きたい。プールに行きたい。海に行きたい。ドライブ行きたい。花火したい。お祭り行きたい。デートしたい。えっちしたい。

アタシのもともとの性格は隠キャではなかった。むしろどちらかと云えば、明るめの性格であった。誰にでも話しかける、テンション高め、で、おっとりマイペース。風船のようにふわふわした人間だねと言われ、アタシと一緒にいると、しっかりしなきゃ、とよく思うらしい。

見た目はかわいいと言ってくれる人間もごくごくごく稀にいたが、ブスと言われる機会の方が多かった。そういえば大学生の時、渋谷のショップで、全く知らないショートヘアの女の子に何故か、ぶーすぶーすぶーす、と言われながらアタシの周囲を回られたことがあった。アタシはその突然の彼女の不思議な行動に、一体どう反応したらよいかわからず、店員さんもやはり突然のことにどうしたらいいかわからず、アタシは輪の中で、店員さんは輪の外で、ぶす、と口ずさむ彼女を眺めるハメになった。世間ではそのぶす呼び女は変人扱いの部類に入るだろうが、アタシは結構傷付いた。次の日、同じ大学の人間に昨日の渋谷のショップでの出来事を伝えたら、その日一日中、何度も何度も爆笑され、ネタとなり、クラス中に広まった。
とりあえず笑いとれたから、まぁいいか、アタシの心の傷はネタとなることによって昇華された。

アタシは大学ではサークルには入らなかった。テニスサークルに入り、サークル仲間と過ごす楽しい大学ライフを夢見ていた。しかし、だ。新歓合宿にて、もともとの知り合いと、ひとりを除いて一年女子ほぼ全員を一日目にして敵に回した。アタシは都内の有名なお嬢様高校を卒業していて、私服が目立つ感じだった。何人かが、アタシの私服を褒めちぎり、都内有名女子校をスゲーと言った。それが一女の燗に触ったのか。アタシはその日の夜一晩中、自分の悪口を聞くハメになった。みな、アタシが寝ていると思い込んでいた為、言いたい放題だった。頭のてっぺんから足の爪先まで、アタシの全てを悪く言い続けるアタシの大悪口大会の夜となった。アタシは、よくそこまで他人の悪口を次から次へと見つけ出せるもんだな、と感心しながら聞いていた。女ってスゲーなと思った。小学生から社会人、ママ友まで、本質は変わんねーんだな。しかし、途中でアタシが起きているのに気付いてしまったコがいた。
ねぇねぇ、N、起きてるよー
いいよ、別にー
笑いながら皆様は話を終えた。
次の日、何事もなかったかのように話しかけてくる一女に、アタシも何事も無かったかのように応じた。アタシのサークルで楽しい大学生活を送るという夢は、一晩で木っ端微塵に砕かれたが、女を敵に回すと怖いという教訓は得た。
あまり目立ってはいけないということだ。

アタシはモテない。
人生で一度もモテたことがない。もちろん気持ちが通じたこともない。さらにいうならアタシは七年に一度、織姫様と彦星様がお逢いになる時期にしか、人を好きにならない。だからよく星空を見上げ、想いを寄せる、はよ来い、織姫、彦星。
しかしその貴重な七年に一度の恋は、必ず自爆し破滅の一途を辿る。昔はアタシの弟くんが見かねて、連絡する時は俺の許可をもらえと、常にアタシをコントロールしてくれようとしていた時期があった。だがそんな姉想いの心優しい弟くんの努力はいつも徒労に終わった。アタシはいつも一人相撲をとり、一人でぐちゃぐちゃにし、一人で猪の如く相手に向かってゆき、弟くんが、止まれ、と言っているのにも関わらず、自ら壁にぶつかりにいって、自爆していた。相手にしてみれば、わけのわからん変な女だろう。そして常に優しい弟くんに泣き言を聞いてもらうのだ。弟くんはアタシと違い、幼稚園の頃から非常にモテるコだった。高校で学年2位に落ちたが、それまでは全ての学校で学年1位を死守した。それでも高校でも、弟くんの軍団が存在するほどだった。

その反面、アタシはどうだ。
弟とは全く異なる恋愛経験値の低さ。
高校生の頃、アタシの隣の席に座るカースト上位のコギャル様方が言っていた。アタシがたまたまうつ伏せになっていた時に、カースト上位のコギャル様方は、アタシが周りで話してるえっちバナシに耐えられずうつ伏せになっていると思ったらしく、アタシにこう言った。

She is finished.

。。。。。涙。
お前の言った言葉は今も深くアタシの心に刻まれている。
そう、確かにアタシは、is finished だ。
今はマウント女子様、マウント男子様からよく言われる。アタシはいつまでも周りから見れば、is finished の女なのだ。

そういえば小学三、四年生でも、is finished を味わった。小学三、四年生の時の担任は、今なら確実に教育委員会で問題になる案件の先生だろう。三年生はちょうどクラス替えの時期だ。初日先生は言った、
クラスの班を作るので、班のリーダーになるコが自分の班に入って欲しいコを選んで班を作っていって
子供心になんとなく嫌な予感がしたのをアタシは覚えている。
アタシはその初日のクラス人間選抜に、ラストまで取り残された生徒として見事輝いた。皆の前で哀れみと辱めを受けた生徒となり、想像の通り、休み時間にクラスの男子から嫌がらせを受けることとなった。当然だ、最後まで誰にも選ばれなかったのだから。嫌がらせの対象となるに決まってるではないか。流石のアタシも悲しいかな、男子達のその嫌がらせを受け流す心の余裕はなかった。
その頃からか、アタシは自分を少しずつ否定するようになった。
演劇の練習では、ある役でアタシともう一人の女のコが手を挙げ、皆の前で演技を見せ合い、クラスのみんなに選んでもらうことになった。担任は言った、
この役にふさわしい可愛いコを選んでねー
無論、結果はお伝えするまでもない。
また、ある時は、クラスで悪口はいけないという授業になり、誰が誰の悪口を言っているかを授業で告発し、発表させるという授業を受けた。告発された者は、陰で過去にどんな悪口を誰に対して言ってしまったかを、皆の前で謝罪をし、謝罪を受けた側は、許しますと、その者に伝えるというなんとも恐ろしい授業であった。
今考えるととんでもない教師だが、遊びを考えるのには長けていて、クラスを上手くまとめていた。だからアタシも特にその先生を嫌いだという感情を持たなかった。むしろ好きだった。大好きな器械体操を教えてくれ、バク転やバク中に夢中になっていた。思えば、子供を上手く洗脳したようなものだったのだろうか。
今、もし会えるなら会ってみたい、そして聞いてみたい、どんな意図であのようなクラスの運営を考えたのかと。差別とイジメを誘発させ、心の傷を造らせる授業。それなのに全くイジメが表面化しなかった奇跡と狂気のクラス。


アタシは小学五年生でまた転校した。担任は怖い先生だった。厳しい先生だった。クラスのほとんどはその先生を嫌っていたけど、私は嫌いじゃなかった。沢山宿題とテストが毎日毎日課されたが、私は成績がどんどん伸びた。この頃から社会科と国語は100点しか取らなくなった。先生は家に訪問する個人面談で、アタシを100点満点です、言うことありませんと褒めた。が、しかし、その日アタシは人生で初の仲間はずれにあい、泣いていた。そう、アタシが悪いのだ。だからイジメられる。この頃のイジメは結構キツかった。箘扱いされ、気持ち悪いと言われ、自殺もよく女子達から頼まれた。学校を休みたかったが、まだ私の年代ではイジメで学校を休むということは一般的ではなかった。あの頃フリースクールがあればどれだけ嬉しかっただろう。


アタシは度重なる転校で精神を壊した。
転校というよりも転校によるイジメだろう。転校する度にイジメられて、通常の入学だとイジメられない。他人とどう接すればよいのかがわからなくなり、もともとの明るい性格は消え去り、異常に他人に気を遣うようになった。アタシと一緒にいることがその人にとって嫌なことなのではないか、常に考えるようになり、物凄く心苦しく感じた。アタシはアタシと一緒にいてゴメンね、と何度も何度も他人に謝るようになった。
高校生でパニック障害になった。ある日突然新宿駅から歩けなくなったのだ。新宿駅で4時間ただ立ちすくんでいた。その日から異常な吐き気に襲われるようになった。当たり前だが学校に行けなくなった。親は許さなかった。特に父親はアタシが精神科にかかりたいとお願いしても許さなかった。プライドが許さなかったのだろう。父は厳しい人だった。アタシが自殺未遂をして初めて精神科に通うのを許してくれた。そんな厳しい父でも途中からアタシの為に会社に在るカウンセラーに毎週父自身が通って、アタシの気持ちを理解しようと努め、一生懸命にアタシを守ろうと頑張ってくれた。
精神科はアタシには合わなかった。アタシは精神科に行く度、ますます暗くなっていった。薬も全く効かなかった。母はアタシの為に四方八方動き回った。そして大学教授で、カウセリングを行っている先生を見つけた。その先生がドンピシャだった。母はこう言っている。初めてその先生のカウンセリングを受けて部屋から出てきたアタシがこう言ったそうだ、
あー、楽しかった

母は毎週、1時間のカウンセリングに付き合ってくれた。しばらくして午後からの授業には出席出来るようになった。しかし電車での登校はまだ難しかった。だから母が毎朝、車で学校まで送ってくれた。午前は保健室、午後から授業、そんな日々が続いた。或る日のことだった、母はアタシを学校に送った帰りにトラックに追突される事故に遭った。
アタシのせいだ、アタシは自分を一晩中責めた。
次の日学校に行ったら、生活指導の先生に呼ばれ、こう言われた。
N がちゃんと電車で登校していれば、お母さんは事故に遭わなかったんだぞ
決定打だった。
アタシという人格が完璧に崩壊した。
アタシは何事も全てアタシが悪いと思うようになった。全ての悪いことはアタシに原因があり、アタシが良い子じゃないから起きたことであって、アタシは常に神様ともう一人の存在に赦しを請わなければいけないこととなった。
そう、統合失調症になったのだ。

統合失調症。
目に見えないものが見え、周りには聞こえない声が聞こえる。アタシの場合は、良い子、悪い子、がキーワードだった。常に神様と或る存在に見張られていた。その或る存在とは、大学教授の先生はその存在に名前を付けろと言ったので、もや子といった。もや子は黒くて雲のようにもやもやした姿をしていた。神様ともや子は常にアタシのすぐ近くに居た。いつも、いつ何時も、お前は悪い子だ、と言い続けた。神様ともや子は、アタシにとって絶対的存在であった。良い子でなければ、すぐにアタシに天罰を下した。アタシは赦しを乞い続け、どうかアタシの大切な家族に手を出さないでくださいと、謝り続けた。
神様ともや子は、アタシがアタシ自身だけの願いを持つことを禁じていた。もしちょっとでもアタシの願いが叶うといいなと考えたら、すぐにアタシを地獄に落とした。だから見張り続けられていた。アタシは、家族の幸せ以外は願ってはいけない子だった。
神様ともや子との関係は、アタシが大人になっても続いた。
実際、家族に神様ともや子がアタシの側にいたことをやっと告白出来たのは、三十代だった。その頃には、もう統合失調症は治っていたが、次は鬱病を発症していた。統合失調症は奇跡的に入院もせず、薬も飲まず、その大学教授のカウンセリングだけで治した。アタシは明るい先生がいいらしい。アタシの悩みを時に笑いに変えてくれるような。あの頃の先生には感謝してる。ありがとう、先生。

しかしだ。
神様ともや子は、アタシとの約束を破った。
パパを殺した。
神様ともや子の呪縛からはアタシは解き放たれていたが、毎年初詣で、こう祈っていた。
アタシだけの願いは何も叶わなくていいので、パパ、ママ、弟、愛犬、家族みんなが心身共に健康で元気で幸せに長生きできますように
叶わなかった。
アタシは思った。
アタシは友達一人もいない、LINEするひともいない、遊びに行ったこともない、デートしたこともない、彼氏ができたこともない、キスしたこともない、セックスしたこともない
家族だけは守ってくださいと願ってきたのに、何故。

母は言った。
暗すぎる、もっと明るい話にしないと読みたいと思わない。
弟は言った。
これ、お前の恥部晒してるようなもんじゃん、と。
そうだ、確かにそうだろう。
これはアタシの恥部で、黒歴史に彩られたアタシの情報だ。
他者から見たら、暗すぎて何の面白みもないつまらない歴史だ。
クソダセェ、病み、ヤバ、暗黒、闇、そんな単語が並ぶかもしれない。
トー横キッズ達、自殺願望のある人達、アタシの文章を読んで、たっぷりとアタシをバカにしなさい。そうすれば、まだ自分の人生はマシだと思えるかもしれない。書いていない黒歴史なら、まだまだ腐るほどある。

弟や母は、前向きに生きなよ、と言う。弟と母は、アタシの黒歴史から目を逸らすことができても、アタシには目を逸らすことが出来ない。その人の苦しみや痛みはその人しかわからない、どんなにわかってあげたくても。
だからアタシは思う、その人の心に寄り添おうとする気持ちが大事なのだと。


でもだ、そんな黒歴史に彩られたアタシの恥部人生でも、幸せになれる可能性を秘めていたことがわかった。

アタシの人生観をひっくり返したのは、アタシが難病患者になったことだ。
父が亡くなって、三年後のことだった。
一年間、体調の悪い時期が続いた。だけど血液検査をしても何も出てこない。医者は言う、何も悪くないよ、自律神経失調症じゃない、どこにいってもそう言われた。体がしんどくてたまらないのだ。グッタリする日が続いた。
ある日、たまたまTSH(内分泌)で少しだけ正常値ではなかった。まぁ内分泌、測ってみようか、ということで測ったら、なんてことはない、偏差値でいえば、35以下のレベルの内分泌の難病患者だった。
この難病は健常者の方より15年から20年寿命が短く、内分泌での難病でというより、心疾患や脳の疾患で亡くなる難病であった。加えて、アタシはサチュレーション(身体の中の酸素飽和度)が、80、この値は救急車で運ばれるような危険な値で、よく看護師さんに驚かれる。健康な人は、98、とかだ。アタシは難病とサチュレーションの低さの為、息切れが酷い。坂や階段を昇るのにかなり体力を消耗する。疲労もひどければ、回復に掛かる時間はほぼ丸一日だ。

なのにアタシは何故か、難病になったと聞いた時、ほっとした。
理由はわからないが、恐らく病気によって、長年アタシを縛りつけてきた夢がどうでもよくなったからだと思う。
生きられればいいと思うようになったからだと思う。
ヘルプマークを付けるのは嫌だった。嵐が復活してコンサートがあっても、参加できる体力が無いのも嫌だった。嵐は、アタシのアオハルだった。100万使ってハワイ公演に行ったくらいに。また、姪っ子と手を繋いでディズニーに行くのが夢だったが、それが出来ないのも嫌だった。

でも、アタシは健康な身体を失うことによって、分かったことがあった。
それは、今まで送ってきた健康な身体の人生が、如何に奇跡的であったかわかった。例え、精神的には辛くとも、アタシはいつも乗り越えてきた、家族の愛情によって。アタシがどれだけ自分の人生の不満を云おうとも、常に家族の愛によって支えられてきた。アタシは何度もODをした、と書いた。今なら分かる、と書いた。アタシは生命があるということが、如何に奇跡で有難いか、分かっていなかったからだ。生命や健康を脅かされると、ODではなく、健康な身体にもどりてぇ、長生きしてぇ、と願う。何が辛いって、身体がしんどいのがつらくてたまらない。
そりゃ、アタシだって出来れば友達や彼氏は欲しかった。結婚もしたかったし、可愛いウエディングドレス着たかったし、子供もほしかった。でも、アタシは、例えそれらの望みが叶っていなくとも、幸せだったのだ。

アタシの人生観の説明文を、小論文の先生が見たら、きっとまた0点を点けるだろう。だって、当たり前のことを書いているのだから。
アタシの人生は他者から見たら、憐れみをかう人生なのかもしれない。
厄祓いに行けという人生なのかもしれない。
でもそんなの関係ない。
アタシはもう、他人に左右されない自分自身を確立して、幸せを見つけ出したのだから。


人生は宝探しだ。
アタシは人間関係の暗闇から、難病になることによって、家族という宝を見つけ出した。
アタシは今、幸せだ。
世界一大好きなママと世界一大好きな二代目愛犬。
この二人に囲まれて、笑い合い、毎日を過ごす。
毎日頑張ってくれているママの肩揉みをし、愛犬の散歩をする。
遊歩道を歩き、季節の移ろいを感じ、花々を愛でる。
美味しいパン屋でパンを買い、カフェでカプチーノを飲む。
雑貨屋さんで可愛い豆皿を買ったり、お花屋さんで家に飾る花を買う。
チョコが好きなアタシはいつも、色々な味のプラリネのチョコを買う。
洋服が大好きなアタシは、有難いかな、毎週買ってる。帰って、母にアタシファッションショーを観てもらう。オシャレは楽しい。ブランドものの小物でちょっとしたスパイスを付け加える。
時には、体力を貯めて、ちょっと遠くに遊びに出掛ける。めっちゃ疲れるが、めっちゃ楽しい。三人でいるだけで楽しくてたまらない。
夜は、可愛い愛犬がアタシの唇をチュッと舐めて、それが合図らしく、アタシの布団に潜り込み、アタシの右腕を枕にして、アタシの腕にすっぽりと抱かれて眠る。愛する愛犬の温もりを感じながら、アタシは自分の心臓の鼓動を感じる。
三人で過ごす幸せな毎日は、神様がアタシにくれた最高の奇跡のプレゼントだ。

今年は、ママの七十歳、古希の誕生日だ。
アタシは盛大に祝うつもりだ。

パパ、ママ、
アタシを産んでくれてありがとう
アタシは生まれ変わっても、
パパとママの子として生まれたい

あぁ、てぇてぇアタシの人生よ、
これからもたくさんの幸あれ

そして、
ママ、愛犬、弟、姪っ子達、お嫁さん、
アタシ人生で何より大切な家族に、どうか幸多き素晴らしい人生を与えたまえ

それがアタシの、いや、私の、一生の願いです



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