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これから大切にしたい対話

東京都知事選が始まった。
私は有権者ではないが、やはり日本の首都である東京の自治に関わる重要な選挙なので興味深い。特に注目しているのは、元安芸高田市長の石丸氏だ。

ポリティクスな記事を書けるほど政治知識はないので彼のこれまでの事業成果については特に触れるつもりはないが、私が彼に注目している理由は彼の他者に対する態度である。

前回「結局人は感情的な生き物だ」という記事を書いたのだが、宇田川元一著書の「他者と働く」を読んでさらに腹落ちした。

人間同士の関係性を大きく2つに分類しました。
ひとつは「私とそれ」の関係性であり、もうひとつは「私とあなた」の関係性です。「私とそれ」は人間でありながら、向き合う相手を自分の「道具」のようにとらえる関係性のことです。

「他者と働く」 宇田川元一著書


結局、正義をふりかざしてもそれで人を動かすことはできない。
石丸氏が言っていることは理にかなっていて正しい。
それでも議員が反発をやめなかったのは、一人の人間として向き合うのではなく、「私とそれ」の関係性で、「私とあなた」という互いを理解しようとした関係性ではなかったからであろう。結局、あの議員たちは石丸氏が自分の地位や名誉を高めるための「道具」でしかなかったということだ。

相手を下げて自分を上げるという行為は、2者の間では優位に見えているかもしれないが、結局自分の立ち位置は変わっておらず広い視野で見れば、どんぐりの背比べをしているだけであろう。

対話とは、権限や立場と関係なく誰にでも、自分の中に相手を見出すこと、相手の中に自分を見出すことで、双方向にお互いを受け入れあっていくことを意味します。

同著

この本では、対話をこのように説明している。

恥ずかしながら私も元々「正義」をふりかざしていた人間だった。
信頼していた人に上司の仕事の仕方について相談したことがある。
その時に言われたのが「〇〇さん(上司)は、〇〇さんとしての立場があって、あなたの知らない仕事もしている。こういう上司であってほしいという思いはあると思うけど、〇〇さん側も色々と悩んでいることを理解してほしい」と。

私は当時そのメールを読んで正直ムカついた。結局そっちの味方なんだと。
でも今はこの意味がわかる。私は自分の主張や正しさだけを盾にして、相手の気持ちや立場を理解しようとしていなかった。自分だったらこうするのにと思うことこそが相手の中に自分を見出すことだと勘違いしていた。

「対話」と出会って、私はかなり人間的に変わった。
信念を曲げることは芯がないことだと思っていたが、他者を理解し互いに歩み寄ることが、多様性を重んじるこれからの時代には必要なのかもしれない。

理想の上司という虚構を作り上げるのもやめた。
上司には私の理解できない範囲での悩みがある。こうあってほしいと一方的に押し付けるのではなく私も上司側に歩み寄る。できることがあれば助け、そして助けられる共助的な関係性が築けると信じている。いい意味で人間関係に上下関係を作らないことを意識できたらときっと人付き合いも楽になるのかな。


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