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規制の中の自由 支配された空間の中で領域展開するには

社会においてルールを逸脱する者には罰が与えられ、活動範囲を制限されたり、集団から排除されたり、何らかの社会的制裁を受ける。

前科者

僕が所属している読書サークルにはかつて、ルール違反を犯したために運営から懲罰を受け、発言権を得られるのが特定の場に限られたりコミュニティ内の閲覧を一部のみと自らに課した後、サークルを去った先輩がいる。

(追記)
読者の方からご指摘いただき、運営からの規制は発言可能な場の指定のみで閲覧に関しての制限は自ら課したものであると確認しました。
お詫びして訂正します。
ご指摘ただいたにわかーずさん、ありがとうございます。

所謂、前科者ということになるだろう。
彼と僕との交流は今も続いており、僕は彼のnoteマガジンの読者でもある。

師匠

僕にとって彼は心の師匠だ。
彼の尊敬すべき点をいくつか挙げよう。

  • やると宣言したら、やる。

  • 誰よりも早く手をあげて行動する。

  • 思ったことは場の空気を読まず遠慮なく発信する。

  • 分からないこと・疑問に感じたことは素直に質問する。

  • 出来ないことは出来ないことと認め、能力のある人に助けを乞うて形にする。

  • 他者への発言で自分に非がある時はすぐに謝罪し、反省点を記録にまとめる。失敗を繰り返さないよう工夫する。

ソースはこちら。

当たり前を当たり前にやることほど難しい。

当たり前に真摯に向き合い続けている彼を本当に尊敬している。
(残念なことに、言葉を重ねても彼に僕の本心は伝わらないようだが)

YouTubeに顔出しの自撮り動画を出したり、
声楽指導をうけたり、バンジージャンプに挑戦したり、
放送大学の受験をしたり、初対面の人と車中泊の旅に出たり、
自分が巻き込まれたトラブルについてインタビューをうけに行ったり…



(まだ準備不足だ足りない、そんなにいきなりはじめられない)
僕は勝手に自分には出来ないと決めつけ、自分を縛って、そしてビビッて、やってみたいと思ったアレコレにチャレンジするのを諦めてきた。


師匠にとって人生初めてのことにも躊躇なく挑戦し、やりまくっている姿を見せられて、ハンマーで頭を殴られた感じがした。

今からはじめてもいいんだ。
許しと後押しをもらった気がした。

年齢による縛り

僕は35歳を越えて自分が知らないことを素直に「知らないです。教えてください。」ということがどんどんできなくなっていた。
大人になってそんなことも知らないのか、と思われるのが怖かった。恥をかくのが嫌だった。
知ったかぶりとポーカーフェイスでその場をやり過ごし(後でググればいい)と作り笑いと検索能力ばかりが上手になった。

同じようにできない姿をさらすのが嫌で好奇心の赴くままに初めてやることに挑戦することを避けてきた。

金銭的な縛り

僕には浪費癖がある。20代からずっと僕を悩ませている問題で、唐突な出費があると右往左往している。

僕も、おそらく師匠も稼ぎは決して多くない。
貯金も平均的な金額より少ないのではないだろうか。

noteやTwitterを見ている情報から推測だけれど、そこに嘘がなければ師匠の稼ぎの大半は書籍代と通信費と生活費に消えているはずだ。

師匠はやると決めたら資金を捻出し、親から借金をしてでもやっていく。
動画には残っていないが、師匠が体験した日本一のバンジーを飛ぶには1回で2万5000円かかっていた。(現在では2万8000円 ※公式サイトより)

もちろん、東京からの旅費は別に必要だ。友人の車に乗せてもらうにしてもガソリン代とお気持ちを包むくらいはしているだろう。


僕にその覚悟があるだろうか?
この日本において身内にお金を借りることほど心的ストレスとプレッシャーのかかることはないと思っている。
(だから消費者ローンのような高利貸しを頼る人が後を絶えないのだろうと思う。身内に借りるのが嫌だから。)

僕には「やったことのないことをするためにお金を用意する」覚悟がなくてずっと逃げ回ってきた。

コロナ禍という縛り

3年位前から県をまたいだ移動には無意識的な規制が自分にかかっていると感じる。
空気を読む、ということになるのだろうか。
職場の事情もあり、感染症予防の観点から旅行は避けるべき行動だと思っていた。

昨年の7月、師匠は大阪までイベントに参加すべくバス旅行をしていた。
延期されたオリンピックの開会式が執り行われたのが2021年7月23日。
全国の新規コロナ感染者数はそれぞれ7月22日が5397人、7月23日が4225人で感染は急拡大していた。

東京で第5波の感染収束の兆しが見えてきて、政府が緊急事態宣言の解除を諮問したのは9月末頃だった。

非常識な行動かもしれない。
でも、やってはいけないと決めたのは誰だ?

それは自分自身だった。

自分で決めることができる、それこそが自由

現代日本で社会生活をする以上、ルールを完全無視することはできない。
それでも、「これだけは自分で決めたい」と領域展開して自由を得ることは可能だ。

まずはどこで自由を得るのか決めること。
何について自由を得るのか決めること。
そして、自由を選んだ責任を負うこと。
覚悟を決めること。

そうすればきっと僕にも領域展開ができる。


芥見下々『呪術廻戦』より


自由であることを決めるのは自分自身だ。



自分が勝手に決めつけていた限界の先に見えてきたもの

規制の中の自由とその可能性を、僕は自分の中に見つけた。
そして、コーヒーで人と繋がる機会を得た。

さぁ、やっていき。

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