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十五夜望月

カフェで開催していたサローネのひとつに、「中国茶品茶会」がありました。
その会では、良質な中国茶を愉しむことはもちろん、
主催者の中国出身の方による漢詩の朗読と紹介、そしていろんな中国文化を識る愉しみもありました。

中国では、旧正月とならび、中秋月も大切な伝統行事。このときに特別に創られる月餅は日本でも知られていますね。
お茶会も中秋月の頃は欠かさずに開催していました。そんな中秋月にちなんだ漢詩として紹介されたひとつに、王建の「十五夜望月」があります。

十五夜望月  王 建

中庭地白樹栖鴉
零露無聲濕桂花
今夜月明人盡望
不知秋思在誰家


中国には、この日は家族みんなが集まるというのが習わしの特別な日が3つあり、「中秋月」もそのひとつ。それゆえに、古の漢詩では集まるべき人がいない寂しさ、集まりにいけない我が身を憂う歌が多くあるそうです。
王建の「十五夜望月」は、「この日ことごとく人は明月を望んでいるだろうが、愁いの思いは誰の家に落ちているだろう」という寂寥感が、秋の季節と相まって深い感慨を与えています。

王建(おうけん)は、生没年ははっきりしないそうですが、韓愈(かんゆ、768~824)の親友であったことから、ほぼ同年代、中唐の時代の人であったとされています。

この漢詩を聞いたときに、ひとり、思い出した和歌があります。
それは安倍仲麿の詠んだ句

天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出(い)でし月かも

「古今集」に収められている一句です。

天を見ると美しい月が昇っている。あの月は、遠い昔、遣唐使に出かける時に祈りを捧げた春日大社のある三笠山に昇っているのと同じ月なのだ。ようやく帰れるのだなあ。

安倍仲麿(あべのなかまろ)は、19歳の頃、遣唐使として中国の唐へ渡った留学生で、驚くような秀才ぶりを発揮して時の玄宗皇帝に気に入られ、「朝衡(ちょうこう)」という中国名で高位の役人として50年以上仕えた人。あまりの寵愛ぶりに日本への帰国が許されず、それでもやっと帰国の許しが得られて一度帰国を試みたものの、途中で船が難破して引き返し、結局帰れぬまま唐の地で没した人としても有名です。

この和歌は30年を経てようやく帰国を許され、明州(現在の寧波(ニンポー)市)で送別の宴が催された時に詠まれたもの。日本への望郷の募る想いがやっと叶う悦びに満ちた感じが表れている、とされています。

安倍仲麿が逝去した時は、あの中国の大詩人・李白も悲しみ、「晁卿衡(ちょうけいこう。仲麿のこと)を哭す」という詩を作っているほどに、盛唐の大詩人である李白や王維とも親交があった安倍仲麿。当然のことながら、中秋月の風習は知っていたと思います。

そんな中秋月に対する中国の方の想いを重ねると、また一層、この和歌の味わいが深くなる。そう思った次第です。

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