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苦しみを受けいれたその先にあるもの。

Hさんは二年前、不思議な体験をした。夜、寝る前に瞑想をしている時、「ドタドタ」という音が鳴った。その音は年老いたHさんのお母様がトイレに行くため、廊下を歩く音だった。

そのお母様はHさんが幼い頃、神経症を患っておられて、育てられる過程で身の危険を感じたほどひどかったという。

その夜、「ドタドタ」という音が鳴った時、自分のところに母親が迫ってきているのではないか、と昔の記憶が蘇り、恐怖に身がすくんだ瞬間、五歳の頃の自分がHさんの目の前にビジョンとして現れた。

もちろん、五歳の頃の自分が目の前に存在しているわけではない。でも、ありありとその少女は存在しているように感じる。そしてその少女は口をひらいてこう言った。

「わたしの人生と入れ替わって!」

Hさんは五歳の自分に「人生を入れ替わって!」と言われた時、ひどく動揺した。「無理だ」と思った。幼少の頃だけではない。離婚や、子育て、これら全ての苦悩を全て忘れて、もう一回最初から経験するなんて無理だと思った。

でも、目の前で「入れ替わって!」と懇願している女の子が不憫でたまらなかった。Hさんは結局、少女のねがいを受け入れた。

もう一度、全ての苦悩を最初から受け入れるということ。

そう覚悟を決めた瞬間、Hさんに変容が起きた。それは「癒し」とか「浄化」などいう言葉では表現できないような何かだった。

私はHさんに「ハートが何か分かりますか?」と訊ねた。

Hさんは私に「ええ、分かります……。胸のあたりがとても静かなんです。二年前、あの出来事があって、全てを受け入れてから、不思議と安らかなんです」と言った。

そして、ハートに手を当てて「ここには何もありません。無です。でも何も無いからこそ在るんです。在る、という感じがします」と伝えてくれた。

それから私はHさんと瞑想をした。

身体の緊張を解き、ただくつろいで、座ってもらう。私がHさんをくつろぎのスペースに誘導してゆく。

「何もしなくて良いんです。目を閉じている間、全てのことを忘れてください。深く息を吐いて、静かにしていてください。思考はただ、流れてゆきます。でも、気づきは流れていきません。ずっと、そこに在ります。気づきそのものとしてそこにいてください」

瞑想が終わった後、私はHさんに感想を聞いた。

「実は目を閉じて、くつろぐということが怖ったんです。安心してくつろぐ、ということが怖かった。でも、あなたの声が聞こえてきました。あなたの誘導する声です。その声に身を任せていたら、その恐怖を通り抜けることができました。その後、足の裏からエネルギーが流れてくる感じがしました。ジンジンしていて……」

生きるのがつらい時、空を見上げると楽になることがある。解放される感覚だ。それももちろん良い。

でも自分を本当の意味で癒してくれるのは地球だ。グラウンディングをして、足の裏や下腹部から地球のエネルギーを受け取ること。

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Hさんが私のnoteを好んで読んだ理由は「受け入れる」ということが書いてあったからだった。「明け渡す」ということが書かれていたからだった。

ひとは苦しみから逃れたいと思って、スピリチュアルセミナーや自己啓発に頼ったりする。

でも、大切な人の喪失、治る見込みのない病、圧倒的な孤独、そういった巨大な苦悩と直面した時、自己啓発、引き寄せの法則などでは太刀打ちできないことを知る。

「わたしの人生はもっと〇〇であるべきだ!」という理想が打ち破られるということ。それはエゴにとっては壮絶な苦しみだ。でも、それに直面し、その苦しみといっしょにいることができて初めてハートが何が分かる。

苦しみを感じている自分を抱きしめること。それができれば、自分を救うだけではなく、自分の親も救うことができる。家系のカルマを癒すのだ。

あなたの抱えている問題はあなたの親も抱えていたのかもしれない。そして、その親も……。実際、精神的な問題と言うのは、前の世代、そして、その前の世代から受け継がれている場合が多い。

母親は子供に無償の愛を与えるものだ。でもHさんのお母様はそうではなかった。「母親なんだから」という思いを捨て、親をひとりの人間として見た時、親の苦悩を知ることができる。誰のせいにもしないで、ただただ受け入れる。そして、家族のカルマを断ち切る。

愛というのは、Hさんが言ったようにハートで感じる「何もなさ」だ。全てを受け入れて、苦しみぬいた先に与えられるのは、他でもない「無」なのだ。

「もうどうにもできないだろう。もうダメだと思った時から、どうやって今の状態まで来たのか分からないんです。もちろん、どうにかしようとしたのは事実です。でもいつの間にか、平穏になっていたんです」

「恩寵ですね」

「ええ、まさに」

ほんとうの悟りは、テクニックを捨てた時、初めて訪れる。

瞑想や呼吸法そのものではない。人生だ。人生そのものがあなたに悟りを与えるのだ。

悟りにテクニックはいらない。人生をコントロールすることを手放し、ありのままを受け入れた時、恩寵があなたにふりそそぎ、平穏が与えれる。

実は、聖者や覚者たちは瞑想を否定している。永遠の平穏は「テクニックを越えたもの」だからだ。

聖者や覚者が目覚めたのは苦しみに抵抗するのをやめて「明け渡し」をしたから。

唯一の方法は静かにくつろいで、ハートと一つになること。ハートに明け渡すことだ。

そうすると、恩寵が永遠の平穏に連れて行ってくれる。

それを信頼すること。

やがて、適切な本やひとに出会い、ある日、あなたはただ「在る」ことができるようになる。

そして、ハートのなかに溶け去る。あなたは長い旅路を終えて、「家に帰る」のだ。

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「わたし、結婚する予定なんです。結婚に挑戦しようと思っています。どうなるか分かりません。でも、やれる気がするんです」

「何もないということ」が平穏だと知っているひとは他者や世界に期待をしない。自分ひとりで満ち足りている。だから、何だってできるし、何が起こっても大丈夫だ。

Naokiさん、今日は2度に渡って、素晴らしいひとときを本当にありがとうございました。

一人で瞑想をしている時とはまた違う、新鮮な感覚や気づきを沢山味わう機会を頂き、感謝しています。

Naokiさんのように、静けさの中にただ在り、それそのものであるような方と瞑想をさせて頂いていると、まるで浸透圧のようにその深みというのでしょうか、自然にいざなわれていくような恩寵を感じました。

また、瞑想だけではなく、ご一緒させて頂いている間、終始ハートに留まり、気づいてくることに気づいていくような揺蕩いを感じ続けていました。
このような貴重な機会に感謝ばかりです。
ありがとうございました。

対話や瞑想をしています。何かありましたらこちらまで↓
naokifloweroftheheart@gmail.com

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