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自分をゆるしてあげること。

karinさんは私のひらいた瞑想会の途中で苦しさに襲われました。

下記の記事でご自身の経験をお書きになっています。

私は上記の記事のコメント欄にこのように書きました。

「あのひとが〇〇したせいだ」とか「わたしが〇〇してしまったせいだ」という思考がつくりだす物語ではなく、感情そのものを感じる。

その感情を感じる身体の部分を意識しながら深く呼吸する。

そうすることで、物語に巻き込まれずに少しずつ過去を癒してゆくことができるようになります。

思考がつくりだす物語に巻き込まれてしまうと、堂々巡りになってしまうのです。

karinさんが悪いわけではないのに、勝手に「わたしが助けられなかったからだ」というような自責のストーリーをつくりだしてしまいます。

その出来事が引き起こした感情をそのまま受け入れると、少しずつ、薄まってゆくのです。

私は最後に「薄まってゆく」と書きました。言い換えると「癒える」と言っていいかもしれません。

苦しみは見て見ないふりをしたり、紛らわせることはできるかもしれません。

ですが、苦しみはそれを望んでいないんです。

「私がもっと〇〇をしていれば……」

という思考は出来事が引き起こした感情をそのまま感じる機会を奪ってしまうんです。

その苦しさを感じている身体を呼吸を使って癒すということです。

この時、分析をしないことです。分析をすると、二元の物語(ストーリー)に巻き込まれてしまうのです。

「心の分析」は責任を自分や他者に転嫁してしまい、感情そのものを癒すチャンスを奪いかねないんです。

呼吸というのは、二元性を越えます。

善悪がないんです。過去も未来もありません。

呼吸は感情そのものを直接的に癒すんです。

自分や他者に責任を負わせず、ただただその感情に意識を向けて優しく呼吸してみてください。

否定しないことです。

感情が今そこにある、ということだけが真実なんです。

出来事に関係した人たちと言うのは、全て過去にいます。

過去にいる、ということは今ここにいない、ということなんです。

「私が〇〇してしまったから」、「あの人たちが〇〇したせいで!」という物語(ストーリー)に入り込みそうになったら、それに気づいて下さい。

ただただ呼吸に意識を向けます。できればハートでその苦しみを受容するのです。

過去は変えることはできませんが、感情に変化は起こります。少しずつ、それは薄まってゆくんです。

どうか自分を責めないでください。

自分を責めるということが一番の苦しみを生み出すんです。

出来事ではありません。自責の念です。

いつでも呼吸はあなたの味方です。

そして、「気づき」もあなたの味方です。

「気づきの視点」を持ってください。

あなたが「気づいている」時、あなたは物語(ストーリー)を眺めることができます。

当事者としての視点から「観る側」に移行できます。

そして、呼吸による受容で癒してゆくのです。

あなたはその苦しさを身体のどこで感じているのでしょうか?

身体のどこが緊張していますか?

そして、最後の頼みの綱はハートです。

ハートは全てを受容します。

ハートはそのために存在しているのです。

感情をそのまま受け入れられるようになると、思考が弱まります。

瞑想中に出てくる思考と言うのは、癒されていない感情が暴かれるために巻き起こるのです。

その苦しみはあなたに見てもらうことを待っていたのかもしれません。

感情といっしょにいてあげること。

あたたかい感じ、やわらかい感じ、がやってきたら受容のサインです。

私はどんな感情であれ、深い部分から癒されると、愛に変わると思っています。愛を知るために生まれてきたのかもしれない、とさえ、思うのです。

自分をゆるしてはじめて、他者と世界をゆるせるようになるのです。

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対話と瞑想をしています。

naokifloweroftheheart@gmail.com


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