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谷崎由依『遠の眠りの』と大正~昭和初期の社会・文化【高校日本史を学び直しながら文学を読む8】

 今回は谷崎由依『遠の眠りの』を取り上げます。谷崎さんは、小説を書いたり、翻訳をしたり、書評を手がけたり、大学で教えたりと多才な人です。文庫化もされた『遠の眠りの』という小説は、大正~昭和戦前期を舞台とするフィクションです。該当する時代の社会や文化に関して高校日本史でどのような内容を扱うのかを紹介しつつ、作品に触れていきます。

 日露戦争後に、小学校の就学率が高まり、1911年には約98%に達しました。しかし、この98%という数字は、小学校卒業生の数とは大きく異なります。農村部では卒業できない女子が少なくありませんでした。貧しい家の長女や次女が高学年になると、子守りや家事のために就学できず、中途で退学する場合が多かったのです。家や村の中で、家事や和裁、機織りなどの教えを受けついできた女子に対して、農家の親は学校教育の必要性をあまり意識しませんでした。
 『遠の眠りの』の主人公である西野絵子は、福井県の農家の次女です。小学校までは出してもらえましたが、その先の学校に行くことはできません。絵子は本を読むことが大好きでしたが、家には本はなく、貸本屋で本を借りられるようなお小遣いも与えられていないので、高等女学校に通う友人の杉浦まい子から本を借りて読んでいます。しかし、家の手伝いや子守りによる忙しさと親の無理解により、本を読む時間がなかなかつくれません。母親は絵子に対し、「絵子は女の子なんやで、ほんな勉強なんかせんでもいい。和佐が嫁に行って、あんたはいちばんお姉ちゃんなんやで、しっかりせんとあかんざ。家の手伝いせんと」と言います。西野の家を飛び出した絵子は、杉浦家の口利きで、人造絹糸の工場で働くことになりました。

 絵子が入った工場では、「女工(工女)」と呼ばれた女性が大勢働いています。女工について、高校の日本史では必ずと言っていいほど細井和喜蔵の『女工哀史』を取り上げます。細井は自らの体験と調査にもとづき、綿紡績業を支えた女性労働者が苛酷きわまりない労働実態であったことを告発しています。福利増進施設が整備されていることを宣伝文句とする狡猾な募集活動を行い、入ってみれば長時間労働、深夜業、虐使、自由を拘束される寄宿舎生活、劣悪な環境と疲労による病理的諸現象の増加などの実態があったことを細井は明らかにしました。
 小説の舞台となる福井県では綿業よりも絹業が盛んでした。ここで東京大学の入試問題を素材として、繊維産業の状況をみていきたいと思います。

 長野県諏訪地方では製糸業の発達が目覚ましく、明治後期になると、県外からも多数の工女が集められるようになった。これら工女たちによってうたわれた「工女節」に、「男軍人 女は工女 糸をひくのも国のため」という一節がある。どうして「糸をひく」ことが「国のため」と考えられたのであろうか。明治後期における日本の諸産業のあり方を念頭に置いて、5行以内で説明せよ。 
※1行は30字(1984年度 東京大学 日本史 第3問B)

 明治時代に大規模な機械紡績会社の設立があいつぎ、綿紡績業は日本の産業革命における中心産業となりました。しかし、原料となる綿花は国産ではなく、輸入に頼らなければならない状況でした。また、多額の資本や高い技術力を要する重工業は民間での発達が遅れ、軍備拡張による軍事力強化のためには、欧米先進国からの輸入に依存しなければなりませんでした。以上のような理由から、日本では輸入超過の状況が続いていました。
 一方、生糸をつくる製糸業は最大の輸出産業として成長しました。原料の繭は国産でした。また、製糸業においては、技術の面では機械化まではいかなくとも、その分、製造に必要な道具が国産でまかなえていました。軍備拡張のためには外貨を獲得する輸出産業が不可欠であり、そのような意味において最も国家への貢献度が高かったのが製糸業だったのです。「工女節」からは、国家目標である「富国強兵」を支えているのは軍人になる男たちだけではなく、外貨獲得に貢献する自分たちもその一員なのだという自負が見て取れます。ここに、女性たちからのナショナリズムの表出があると言えますが、当時の女工の境遇・労働環境などを考えれば、自分たちの努力が国のためになっているとでも思わなければやっていけないという心理状況も大きかったのではないかと考える必要があるでしょう。

 生糸を精練した絹糸で織った織物を絹織物と言いますが、福井県は絹織物の羽二重(はぶたえ)で有名で、欧米に向けてさかんに輸出されていました。羽二重というのは、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を交差させる際に、経糸を細い2本にして織ることであり、技術力は求められますが、やわらかく光沢のある仕上がりになります。絵子の友人であるまい子には、伝統ある手機で羽二重を織りたいという夢がありました。
 第一次世界大戦中、戦争でヨーロッパ列強がアジア市場から徹底したことにより日本のアジア市場向け輸出が拡大し、繊維産業をはじめとする軽工業が飛躍的に発展しました。福井県では、欧米向けの絹織物が衰え、代わって台頭した人造絹糸(レーヨン)がアジア向けに輸出されるようになりました。
 絵子が工場で働き始めた時期は人造絹糸に勢いがあったことも手伝ってか、『女工哀史』の内容と比べれば少し明るい雰囲気が感じられるのですが、それでも男性社長の横暴、女性蔑視などが描かれています。絵子がイプセンの『人形の家』を読んでいるときに、吉田朝子という女工から声をかけられ、雑誌「青鞜」をすすめられました。朝子はのちにストライキに参加し、労働条件改善要求を叫び、留置場へと検束されます。絵子は朝子のような運動に身を投じることはしないのですが、絵子の人生は朝子から大きな影響を受けることになります。

 第一次世界大戦中の経済発展により、都市化が進展していました。都心や郊外電車のターミナルには百貨店(デパート)がたてられ、都市部で増大しつつあった会社員を中心とする新しい中間層が顧客となります。百貨店は、都市部の中間層の西洋文化への憧れを商品に反映させることで成功を収めました。
 阪急の小林一三は、梅田駅直結の百貨店を構想し、1929年に阪急百貨店として実現しました。最上階の食堂で提供される低価格のライスカレーが評判となっています。百貨店では子ども用品を大々的に売り出し、子どもや親たちの物欲を掻き立て、遊戯機械を導入し、家族の娯楽空間として認知されるようになりました。
 また、小林は宝塚唱歌隊(のちに少女歌劇、さらに歌劇団と改称)を結成し、十代の少女たちを集めて、楽器、歌、ダンスなどのレッスンを受けさせました。有能な指導者のもと、少女たちは徹底したプロ集団として養成され、芸名を与えられて舞台に立つことになります。
 絵子は転職して百貨店「えびす屋」で働くことになりました。これは福井県初の百貨店である「だるま屋」がモデルとなっています。絵子は支配人の鍋川に向かって「お話が書けます」と言ったことで、いつか少女歌劇団の脚本を書くことを期待されるようになります。

 大戦ブームに日本が沸いている時期に、河上肇は『貧乏物語』を著し、欧米先進国は人口2%程度の最富裕層が一国の富の60~70%の富を保有しているという極端な富の偏在を明らかにし、日本の大戦景気が格差是正にはつながらないことを示しました。河上肇が問題とした社会の格差は、大戦ブーム終結後に強く意識されるようになります。農村の苦境を救い、貧富の格差を救うという問題と、豊かな英米に対して、持たざる国である日本がどのように立ち向かうかという問題が重なり合いながら、戦争の機運を高めることにつながっていくのです。
 都市部の百貨店で仕事をするようになった絵子は、1929年のニューヨーク株式暴落後、日本でも深刻な不況が続いているという新聞記事を目にしても、それを実感することはありませんでした。しかし、ある時、衝動的に自分が生まれ育った村へ戻ってみると、農村部の現実に直面することになります。
 絵子は弟の陸太から「いいべべ着てなるの」と言われます。このような具体的な言葉などを通じて、都市部と農村部の格差がより鮮明になって迫ってきます。絵子は複雑な心情のまま、言葉を出すことができませんでした。
 絵子が育った村では、農本主義の影響が強まっていました。農本主義とは、農村の伝統的文化・慣習に独自の価値を見いだす一方、欧米の影響による都市化・工業化の害悪を強調する思想です。農本主義は、小農を基盤にした農村改造により自治思想の土台となる面はありました。しかし、工業労働よりも農民労働の方が尊くて勤勉である、他のアジア民族よりも日本人の精神性は優秀である、などの優越思想もみられました。『遠の眠りの』の中で、農本主義が日の丸や天皇と結びつく状況に絵子が混乱する場面があります。

  どうしてそこで日の丸なのか。食べ物がな
  い、金がない。都市部ばかりが豊かになる
  なかで、農村のちからを取り戻そうとす
  る。西洋趣味を廃し、魂のなかの日の本を
  呼び出そうとする。天孫をいただくこの国
  の、根本に立ち返る。

 今日のSDGsの視点から、農本主義的な思想を見直す動きもあるかもしれませんが、この思想が戦時総力戦体制とつながっていった歴史を学びながら、注意深く考察する必要があるでしょう。

 農村の女性は男性以上に「家」との関係が強かったので、新しい時代の息吹を吸収するためには、中等・高等教育機関での学習、女工出稼ぎなど、村を離れて都市部での経験を持つことが必要でした。ただし、村を離れた女性でも20歳前後になると家に戻り、結婚に備えるのが一般的でした。結婚は親と親、「家」と「家」によって決定されるのが一般的であり、女性は嫁ぎ先の家で、嫁としてのつとめをはたすことが求められました。
 絵子の姉や妹は農村で過ごし、結婚して男性側の家に入っていきますが、都市部での生活を経験した絵子、まい子、朝子であっても、自分の人生を自由に選び取ることは困難でした。

 軍部が台頭し、満洲事変、「満洲国」発足と歴史が動く中、絵子は脚本「遠の眠りを」を書き上げます。舞台では、海の上に一艘の小舟が浮かんでいます。

  女。確かに女だ。けれど歌劇団の舞台上に、
  これほど身なりの汚れた女が出てきたことは
  あっただろうか。(中略)そこにはべつの女
  が立っている。彼女もまた逃げてきたのだと
  いう。昼間は無口で優しいけれど、酒を飲む
  と別人のようになる夫から。腕に、脚に、肩
  に、芙蓉の花の色合いをした痣が点々とでき
  ている。三人目の女は子を産めなかった女。
  四人目は女工をしていた女。結婚の約束を破
  棄された女。騙されて廓へ売られた女。(中
  略)彼女たちが幸福に暮らせる土地はあるの
  だろうか。
  難民船に、それはそっくりだった。女という
  難民たちだった。(中略)
  −長き夜の、遠の眠りのみな目覚め、波乗り
  舟の、音のよきかな。
  あたらしい時代は、すぐそこまで来ている。
  それはいまだ眠っている。

 ついに絵子が心を震わせるような物語を完成させたことがわかるのですが、作者の谷崎さんは、この物語をハッピーエンドで終わらせるようなことはせず、歴史に、そして現在まで続く問題に誠実な姿勢で向き合います。読む側の感動は、もう次のページで崩されます。「遠の眠りの」は観客から不評でした。「夢を購ひにきたはずだのに、現実を突きつけられた」「イデオロギイは嫌ひです」などの投書が届くのです。
 日本はイギリス領マレー半島とハワイ真珠湾を奇襲攻撃して、アメリカ・イギリス・オランダへ宣戦布告します。アジア・太平洋戦争の始まりです。当時の日本は、大東亜戦争と称していました。その頃、絵子は朝子に出くわします。しかし、本当に会ったのかどうか、絵子は自信が持てません。実際には憲兵の拷問で殺され、自分が会ったのは朝子の幽霊であったかもしれないと考えるのです。朝子は、「こんな戦争、勝つはずがない」「馬鹿な戦争。動機も馬鹿なら、やり方だってあまりにも馬鹿だ」などの言葉を言い放ち、最後に「この戦争が終わるまで、生き延びて、逃げ切りましょう」という言葉を残して去っていきます。
 この物語は日本が敗戦を迎えたところで終わります。絵子が戦後の時代をどう生きたのかは書かれていません。あたらしい時代は来たのでしょうか。それとも、まだ眠ったままなのでしょうか。
 世界経済フォーラムが公表した「ジェンダーギャップ指数2023」では、日本は146か国中125位となり、政治分野では138位で、男女の格差が埋まっていない国という結果が示されました。女性が自分らしく生きられる世の中が来ていると、胸を張って言える人がこの国にいるでしょうか。また、男性も、どんな性自認でも、生きやすい世の中になったと言い切れる人がいるでしょうか。まだ、遠の眠りから目覚めることもできず、どこかに逃げたくても、幸福に暮らす場所を見つけることのできない難民がこの国にはあふれているのかもしれません。

 さて、ここまで女性の登場人物を中心に見てきましたが、この物語には清次郎(キヨ)と、その兄の清太という主要登場人物もいます。この2人が物語に奥行きをもたらし、福井県の港が本物の難民とつながっていたという歴史的事実とつながっていくのですが、ここでは詳しい話は控えます。あとは、実際にこの本を読んでみてください。絶対に読む価値のある本だと思います。


主要参考文献

・谷崎由依『遠の眠りの』(集英社文庫)
・高校教科書『日本史探究』(実教出版)

・大門正克『明治・大正の農村』(岩波ブックレット)
・大門正克・安田常雄・天野正子『近代社会を生きる』(吉川弘文館)
・細井和喜蔵『女工哀史』(岩波文庫)
・サンドラ・シャール『『女工哀史』を再考する』(京都大学学術出版会)
・河上肇『貧乏物語』(岩波文庫)
・柳田国男『都市と農村』(岩波文庫)
・筒井清忠編『大正史講義』(ちくま新書)
・筒井清忠編『大正史講義【文化篇】』(ちくま新書)
・山口輝臣・福家崇洋編『思想史講義【戦前昭和篇】』(ちくま新書)
・伊井春樹『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』(ミネルヴァ書房)
・藤原辰史『農の原理の史的研究』(創元社)

 


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