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人生の「クソゲー」論。

僕は理想の人生ほど「クソゲー」だなと思っているのだが、その理由を今日は書いてみる。

①「人と比べても仕方ない」は本当か。

やりたいことが上手くいかないとき、誰かに相談すると「人と比べても仕方ない」と返ってくることが多い。

だが人と自分の「何を」比べても仕方ないのか、それを考える意味はある。

例えば、僕らが他人に対して羨ましいと思うような職業や生活、特技や容姿。これらを比較することは、本当に意味がないのだろうか?

僕はそう思えない。スタイルをよくしたいのなら運動をすればいい。お金が欲しいならば、より努力して働けばいい。

それらのことで「人と比較しても仕方ない」と言うのは、自分の怠慢の言い訳かもしれない。(もちろんそうでないこともたくさんある。)

人のことが良く見えてしまう。

②「仕方ない」の正体。

では本当に人と比べても仕方ないものってなんだろうか。

僕はそれは「マインド」だと思う。

自分の意見や価値観は、他人とは必ずしも一致しない。例えば年齢を理由に物事から一線を引く人たちの会話を聞くと、自分は同じ年齢であってもそのことに興味を持てると感じることがある。

マインドは人それぞれで、これを変えることは難しい。

親しい仲でも同意できないことはたくさんある。

自分の意見が一般論と合わない時は、「あれ、自分が異常なのかな?」と思うこともあるけど(いや嘘。ほぼない。)マインドはどれだけ努力しても他人と同じにはならない。

③ドラクエで考えるマインド比較の無意味さ。

僕が好きなドラクエの世界で考えてみる。(突然のドラクエ)

自分の職業が「魔法使い」だったとする。非力な自分は勇者の持つカッコいい剣に憧れる。しかしもし勇者と同じ剣を手に入れたとしても、魔法使いの自分に必要だったのだろうか?

自分の本当の力は、魔法の中にあるのではないか。人と比較し、憧れの感情だけで必要ないものを手に入れるのは、本来の自分を見失ってしまうかもしれない。

自分が欲しいものは自分で決める。憧れという感情は厄介だ。

それこそ「人と比べて仕方ない」ものだ。

④人生=クソゲーか?

が、しかし。

ここで矛盾することを突然言うが、それを十分わかっているのに悩んだり考えたり、自分のマインドを人と比べてしまうのが「人間」でもある。

僕らはプログラミングされたAIではない、「人間」だからだ。

AIのように感情もコントロールして生きることが出来たら、とてもラクだろうと思う。でもラクに生きることはつまらないことだとも思う。つまらないぐらいなら、ラクでなくていいと思う。

だって、「手に入れたいものがすんなり入る」
それってRPGゲームだったら、ただのクソゲーだ。
ドラクエはきちんと試練が山ほどある。

面白いRPGほど、欲しいものは簡単に手に入らないものだ。


「人と比べても仕方ない」
と言われる時は大抵何かがうまくいってない時だ。

でも、自分の人生はクソゲーではない。
本当に手に入れたいものは今手に入るべきじゃない。
自分のストーリーのクライマックスはまだ先にある。

なかなか上手く行かないなと思うことがあると
僕はそんな風に思うようにしている。

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