ランニング嫌いな僕が走る理由。
先日のnoteで、「週末何をしているか?」の質問に対して、ランニングと答えていると書いた。
が、走ること自体が好きなわけじゃない。本音を言えばむしろ逆。疲れるし、辛い。
では何故ランニングが好きだと答えるのか、
それは、レース(大会)に出るためだ。
走ることの本音
日々のランニングは大会に出るための練習で、
自分にとってはそれ以上でも以下でもない。
もちろんそれはあくまで僕の場合で、走ること自体を楽しんでいる人はたくさんいると思う。
でも僕は違う。先ほども書いたが、疲れるし辛いし足は痛くなるし。何より走っている間、体は忙しいが頭の中は退屈だ。(退屈だという感覚、わかる人にはわかると思う。)
だけどそんな思いをしても、レースに出る意味が僕にとって十分にある。
日々のランニングでは得られない「達成感」がその大きな理由だ。
大人になると、なくなるもの
大人になると、子供の頃のようにテストで満点狙いや部活の試合、文化祭での全力投球…そういう一皮剥けるような「達成感」がどんどんなくなる。
もちろん仕事でも「達成感」を得られることは多い。
が、もともとずっとスポーツをし、体を動かしてきた自分にとって、パソコンや道具などを一切使わずに
「自分の身ひとつで何かをやりきる達成感」を得ることは別物なのだ。
達成感の条件
「達成感」と言うのは、ちょっとした苦労があってなんぼのものと思っている。ストレスがないならそれは単なる充実感だ。
レースで長距離を速く走るというのは、その「ゴールドラッシュ」そのもの。普段走らない長い道を可能な限り早く走る。それだけ良いから、これ以上適したものはないと思っている。
そう自分で振り返ってみると「達成感」は、年齢を重ねても何かを目指し続けるための意欲の源、もしくは栄養みたいなものと考えているんだなと認識させられる。
レース当日の心情
ただ、何度も言うが基本的に走る行為は嫌いなので、
レースに出る時の自分のモチベーションはこうだ。
ほぼイライラしている。
でも最後の最後。この感情だけでまたレースに出たい。そう思えるのだ。自分でも不思議すぎるが、本当にそうなので体感してみてほしいとしか言えない。
福岡ではしばらくソロランナーだったが、最近ラン仲間ができたのが嬉しく今日は走ることについて書いてみた。
走り続けることで見えてくるのは、嫌なことでも立ち向かうことの価値と、それを達成した瞬間の無二の喜びである。かっこよくまとめてみた。(ドヤ)
最後に僕の好きな言葉を紹介して終わりにする。
”人は老いるから走れなくなるのではなく、走らなくなるから老いるのだ”
by Jack Kirk
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