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死にたくなる感情について。

最近は、夜になると、ついスマホで、「死にたい」と検索してしまう。そこに、何か答えがあるわけではないのはわかってる。それと何より、夜は、胸、心臓が苦しくなる。死にたいというより、楽になりたいに近い。10代の頃の方が本当に死にたかったのかもしれない。今の「死にたい」は、楽になりたい。幸せになりたい。そんな感情も含まれている。前回の記事でも、書いた通り、寂しいという感情が、「死にたい」に繋がることもある。Syrup16gの『明日を落としても』という曲のように、「死にたい」と口にすることで、楽になる瞬間がある。そんなことに気づいてしまった。まるで、毎日のように、軽い、自殺未遂をしてるかのように。一人になりたいと、一人で暮らしてきたものの、やっぱり、一人はさびしい。俺は、いったい、何がしたいのだろう。夜は、本当に、苦しい。少し前までは、夜が好きだった。だけど、最近の夜は、とても孤独だ。俺が好きなのは、感情がチルする瞬間た。最近は抑うつのせいか、チルが起こらない。だから、こうして、文章を書くことで、活性した脳で、チルを起こす実験をしている。きっと、コロナ疲れもあると思う。コロナ、長いなー。常にマスクをつけてないといけない苦しさもあると思う。早くコロナ終息してほしい。きっと、コロナうつなんだろうな。あと、最近は、引っ越し先が古いアパートで、物音、咳払い、そういうのが、物凄く気になる。もうすぐで、引っ越してから一年たつのに、まだ慣れないし、体に感じるエネルギーもあんまり良くない。きっと、この死にたくなる感情は、さまざまな要因があるんだろうな。それでも、こうして文章を書くのは楽しい。俺は、エネルギーを外に出すのが、好きだ。死にたいと思って、書き始めたのに、いつの間にか、気持ちは、楽しみたいに変わっている。自分という人間は、毎秒、姿を変える。まるで、あらゆる人格があるように。きっと、病名なら、いくつでも、つけられる。でも、病名をつけたところで、俺という人間は、俺自身、よくわからない。文章を書くと、体の緊張が、ほぐれる。心臓も少し楽になる。俺は、こうして、死にたくなる感情と付き合ってる。みんなも、もし死にたくなったら、文章を晒すというのもありだと思うな!やっぱり、こうして、文章を読むと、人格がたくさんいるように感じる。不思議。でも、どれもこれも、みんな自分。そんな自分を愛してやろうと思う。


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