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(批判は承知)公共交通は有限な資源である

近年、公共交通業界の人手不足による運転本数の削減や遅延などの不便化問題が深刻化している。この問題に対して、世間では「利用者に罪はない」という声が聞かれる。しかし、筆者はこれ大半にはおおむね同意であるが、残りの一部分については反論する。耳が痛くなる話であり言いづらいことではあるが、公共交通の需要が供給可能量を大幅に上回る事態が発生しないように、自家用車両の利用能力や経済的体力のある人が自分自身で免許取得や車両取得などの努力をしなかった日本人の自業自得であろう。

公共交通は、公共財として、すべての国民が利用できる権利を有している。しかし、公共財であるからといって、利用者が何もしなくても、いつでもどこでも、必要なときに公共交通が利用できるとは限らない。公共交通の運行には、人材や設備などのコストが必要であり、それらを賄うためには、利用者からの収入ないしそれに代わる財務的資源が必要になる。

公共交通の需要が供給可能量を大幅に上回る事態が発生すれば、公共交通事業者は、システムエラーを防止するために、運転本数の削減や遅延などの不便化を余儀なくされる。これは、公共交通の利用者にとって、大きな不利益となる。

このような事態を防ぐためには、自家用車両の利用能力や経済的体力のある人が、自分自身で免許取得や車両取得などの努力をして、公共交通の利用を抑制することが重要である。

具体的には、以下のような施策が考えられる。

  • 公共交通は、必要とするものへの利用に制限する。例えば、通勤や通学などの日常生活に不可欠な移動に限り、公共交通の利用を認める。

  • 観光列車など公共交通性の低い列車の運行を即時中止する。

これらの施策を実施すれば、公共交通の需要が抑制され、公共交通の正常化になる。これにより、公共交通の運行が安定し、利用者の利便性が安定する。

また、筆者は、高校生世代を車社会から遠ざけて日本人の車離れを間接的に助長させたバイク3ない運動を実施した高校PTAや、公共交通を消費物として消費した鉄道ファンやその鉄道ファンに迎合した鉄道会社も問題であると思っている。

バイク3ない運動は、結果的には日本人の車離れに拍車をかけた。当時は道路の治安の改善および急激に衰退する公共交通の衰退の抑止力に役立ったとは思うが、現在はむしろ日本の車離れの深刻化という問題を引き起こしている。

また、鉄道ファンは、公共交通を消費物として消費してきた。鉄道ファンは、公共交通を時にはオタクが女性キャラやゲームソフトやコンテンツを消費する感覚でそれらを消費している。これは、公共交通の需要を過剰に高め、公共交通の不便化を招く要因となっている。

今すぐにでもAIなどで人手不足問題が解決されるなり、今日から明日からにでもライドシェアサービスが事実上合法になるならこの提言は必要ないと思うが、それまでの公共交通の不便化問題を解決するためには、利用者や鉄道事業者、行政が、公共交通の利用を適正化する努力をすることが重要である。

札幌五輪の招致を中止できる日本で、公共交通の行き過ぎた観光地化を中止できないのはなぜなのだろう?

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