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障がいを持つ子どものために我慢すると起こること


ぼくには自閉症の子どもがいます。

その子ももう、就労支援事業所に就職して、今は働いているのですが、ここに至るまでにいろいろな悩みを抱えてきました。

子育てに従事している時間、このまま自分のことを我慢して子育てを続けていかなければならないのか、という暗い気持ちに苛まれることも少なくありませんでした。



仕事や家事に加え、目が離せない子どもに対して、いくときも気にかけていなければならないというのは心が休まりません。

そして、子どものせいで自分の時間が犠牲になっているという考えが頭をよぎるたびに、何の責任もない子どもに対して罪悪感も感じなければなりませんでした。



「障害を持つ子の育児は手がかかる」

当事者にとっては理解することも、受け入れることも、容易ではない事実なのだと思います。

子育てのために、自分のやりたかった趣味や仕事、友達との交流を我慢せざるえない人も少なくないのではないでしょうか。



しかし、育児のために自分のやりたいことを我慢することはやめておいた方がいいのだと、ぼくは考えています。

『我慢している』という親の心理状況は子どもとのコミュニケーションに悪影響を与えてしまうからです。







親自身がやりたいことを我慢するとどのようなことが起こるのか。

ぼくには、このようなことが実際に起こりました。


1.子どもに優しくなれない
2.我慢が子どもに伝わる
3.子どもが我慢を「良いこと」だと認識してしまう






1.子どもに優しくなれない


我慢をしていると、我慢すること自体にエレルギーが費やされ、心理的にゆとりが持てなくなります。

言うことを聞いてくれないのは理解することができないから、ごはんの時に食べものや飲みものを床にこぼしてしまうのは不器用だから。

頭ではわかっていても、心にゆとりがなければ口調がキツくなってしまいます。

その子のペースに合わせてサポートしてあげることが、発育を促すために大切だと頭の中では分かっていても、待つことができなくなってしまうのです。






2.我慢が子どもに伝わる


親の不機嫌な立ち振るまいや表情を、子どもは意外とよく見ています。

たとえ言葉の発達が遅れていても、非言語的コミュニケーションの理解は良いということもあります。

ぼくの子どもは言語発達が遅れているのだけど、イライラしている気持ちを親の立ち振るまいから感じ取ることができました。

『怒っているの?』と声をかけられたり、言いたいことを我慢させたり、いらない気遣いをさせてしまったことを今は後悔しています。



自身の子ども時代を振り返ったとき、疲れていたり不機嫌な親の様子を見て、『自分のせいなのではないか』と感じたことはないでしょうか。

我慢をしている親のもとで過ごしている子どもは、自分が迷惑をかけているということを成長の過程で感じ取ってしまうことがあるのだと思います。

自分が迷惑をかけているという認識を持ってしまうと、自分に自信を持つことが難しくなってしまいます。

ぼくの子どもは、やりたいことがあるときに、「やってもいい?(迷惑じゃない?)」という言葉を頻繁に口にするようになってしまいました。







3.我慢を「良いこと」だと認識してしまう


お父さん、お母さんは、子どもにとってもっとも身近な大人のモデルになります。

自分の口ぐせや所作を子どもに真似されたことはないでしょうか。

身近な大人がいつも我慢していると、自然に「我慢することは良いこと」という価値観を持ってしまう恐れがあります。

学校などの教育現場において勉強や運動を「我慢してがんばる」ということが良いとされる風潮もあり、子どもはそういった価値観に染まりやすいのだと思います。



一方で、障害を持つ子どもが親の手を借りずに生活しなければならなくなったとき、自分一人の力ではできないこと・解決が難しいことに対し「助けを求める」「人の手を借りる」というスキルが必要になってきます。

「我慢は良いこと」という認識があると、人の手を借りたい気持ちにブレーキがかかり、必要なサポートが受けられないというリスクにつながってしまうのです。



施設や学校など、常にサポートしてくれる人がいる環境なら問題にならないかもしれません。

しかし、大人になっても自分から困っていることを誰かに訴えたり、助けを求めることができなければ、たとえ周囲に気にかけてくれている人がいたとしても、必要なサポートを受けること難しくなってしまいます。







このように、親の欲求を我慢している生活を続けると、子育てはマイナスの方向に働いてしまうことが多いのです。

では、やりたいことはなんでもやったほうが良いのかといえば、そうも言えません。

前述したとおり、障害を持つ子どもの子育てには手がかかり、実際に親のサポートが必要だからです。




ではどうすればいいのか。
悩んだ末にたどり着いた答えは、

『自分(親)のコンディションを最優先すること』

をいうことでした。



親の精神的不調は子育てにマイナスに働くため、より良い子育てをしていくために、親自身の調子を整えることを優先していった方がいいのです。

子どものためにがんばっていても、親の心が疲れてしまったら、発達のために効果的な関わりが持てなくなるからです。



子どもの良い成長を促すためには、親自身が自分らしく過ごす環境や時間は必須です。

子どものために『親自身が慢性的な我慢を手放す必要がある』のだと、割り切りましょう。

こう考えると、少し心のよりどころのようなものができるのではないかと思うのです。

映画館でポップコーンを食べながら流行りの映画を観ているのは子育てに必要だから。

放課後児童デイに子どもを預けて、カフェラテを飲みながらまったり過ごす時間も子育てに必要なのだから。





障害を持つ子どもの子育てには『子どものためにがんばる、親の姿は美しい』という風潮があります。

しかしながら、これから子育てをしていく人たちには『子供のことと自分のことを両立する方法を、常に意識した方がいい』とぼくは言いたいのです。



「子どものためにがんばっている」という気持ちだけでは、発達に効果的なサポートを続けていくことは難しい。

なぜなら、子どもが言うことを聞いてくれないとき『あなたのためにがんばっているのに何故…』というベクトルで考えがちになってしまうからです。

がんばっているのに報われない、という気分に陥ってしまうのです。



今、自分のやりたいことがあるのであれば、たとえそのために福祉サービスの利用や家族からのサポートが必要であっても、まずは一旦取り組んでみることをお勧めします。

「自分のこと」と「子どものこと」の両立をベースにした生活を組み立てることこそが、親として適切にサポートを行うことに繋がるからです。



ひょっとしたら、子どもと過ごす時間が短くなることで愛情が伝わりにくくなったり、理不尽な思いをさせるのではないか、と不安を感じる人がいるかもしれません。

ここで考えてみてもらいたいのが、あなたの子どもは不機嫌な大人と長い時間一緒に過ごしたいと思うのだろうか、ということです。

たとえ血のつながった親であっても、怪訝な表情だったりイライラしている人のそばに一緒に居たいという人はいないのではないでしょうか。



愛情や信頼は、一緒に過ごす時間の長さで決まるのではなく、過ごした時間の中身やクオリティによって決まるものだと思います。

過ごした時間が短くても、穏やかな表情で大切にしてくれる。
そんな親のもとで育つ子どもは、安心感を持ってのびのびと育ってくれるのではないでしょうか。

やりたいことをやる時間を定期的に取り、親自身が自分の機嫌に責任を持つ。

そうすることで、愛情を持って接するができるようになるのだと思います。




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