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妄想百人一首(23)

『再開』


 「最後までやれよ」
ハードカバーに視線を向けたまま彼は言った。
「んー」
わかってる、投げ出すのはカッコ悪いし、そんな自分は嫌だ。
「んあ、でもだよ」
彼は顔を上げない。めげてはいけない。
「始めたのはさ、過去の自分じゃん、その時はその時のことを考えていたのであって、で、未来のことは未来の自分に丸投げしたわけじゃん、で、その、過去の自分と同じように今の自分には今の決定権があるとも言えるとおもうんだよ」
ようやく彼と目が合って、目を逸らした。やましいことがあるわけじゃない、人と目を合わせるのが苦手なだけ。
「続きをどうぞ。」
彼の声は酷く無表情だ。俯き気味に、あらぬ方向へ話し出す。
「過去の自分はさ、名前ありきで始めちゃったんだ、行動とそのラベルを思い付いて、いけるって思っちゃったんだ、内容の質とか持続可能性みたいなのを考慮に入れていなかったと思うんだよ、でさ、その、内容を伴わない思い付きに縛られることに、何というか、必要性を感じない、んだよね、んー」
「お前の言うラベルと内容の食い違いは既に発生しているのだから今更気にする事ではない。加えて本来目的を持った行動でない以上必要性や意味を引き合いに出しても反駁なっていないし、必要性や意味を考えられるのは全てが終わった後だ。」
彼の言うことは尤もだ。それでも肯う前に別の言葉が口をつく。
「ただ、その、『最後までやる』ってのはべき論じゃん、べき論には根拠がないからさ、ようは、本来非目的的行動をべき論っていう根拠のない目的で縛るっていうのは、なんか、嫌だし、」
だけど、存在しない才能を妄想し続けて妄想に縛られるのはもっと嫌だ。その事態を免れるには妄想を打破するための行動と行動を維持するシステムが必要なんだ。恐る恐る彼の顔を覗く。
「んあ、最後までやるよ」
彼は眉を上げて僕を一瞥すると、ハードカバーへ視線を戻した。
「んで早速次なんだけどさ、自らの内面の相反する考えを二人の人物に投影したいんだけどさ、」
彼の視線は冷たい。めげてはいけない。が、目は逸らす。
「そんな古典的手法を堂々と話して恥ずかしくないのか?」
恥ずかしくはない。これは恥を晒す訓練だから。


今回の一首

山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり

この歌について

 春道列樹が、都と近江を繋ぐ志賀越道を行く道中に詠んだ歌で、
「谷あいの川に風が架けた柵がある。それは流れきらずにいる紅葉の葉であったよ」
という意味。
 「風のかけたる」は擬人法であるが、当時は最新のテクニックだったらしい。

あとがき

 再開します。

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2月8日 投稿

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